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[抄録]

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9月のオープンミーティング 98年11月のオープンミーティング

枝野幸男 オープンミーティング 

「地球環境と私たちのくらし」抜粋

1998.10.31


今回は日本環境財団理事長の高見裕一氏をゲストに迎えて地球環境問題をテーマに勉強会をおこないました。

高見裕一氏のプロフィール

1956年(昭和31年)神戸市生まれ、42歳。追手門学院大学在学中に、神戸で「関西リサイクル運動市民の会」を設立。その後、暮らしに根ざした環境市民運動を全国に広げ、「日本リサイクル運動市民の会」へと発展。会の代表として、長く日本の環境市民運動をリード。現在、同会を中心とする日本エコロジーネットワーク代表環ネットワーク株式会社代表取締役会長兼社長(CEO)。日本を代表する環境問題の活動家であり、環境政策のエキスパートである。各地の大学で教鞭を執ると同じに、講演、著作活動を展開。自治体や企業の環境政策の指導、立案にも多くの実績を持つ。

公害問題と地球環境問題の違い 高見裕一氏

3つのキーワード――――――――――地域限定か否か。時間。加害者は誰か?

① 地域限定

公害は水俣病、四日市病など地域の名前が付けられるように、ある特定の地域内に限定可能な出来事と言えます。
地球環境問題は大きな生態系の中で起こるものであり、地域に限定されるものではなくボーダレスな問題となってしまいます。
公害問題と地球環境問題はその影響を与える範囲が異なると言えます。

② 時間

水俣病の場合、汚染された土地を埋めこむことによってそこに蓄積された水銀を押さえ込むことができました。つまり、処置をすることによって比較的短時間で地域の環境を改善することが出来たわけです。
一方、オゾン層の破壊のような地球環境問題の場合、現時点でオゾン層の破壊のピークは2050年ごろとなると言われています。このように自分たちのしてきたことが、50年後の世界にまで影響を与えてしまうようなことが出てきました。
公害問題とは異なり、地球環境問題は解決にかかる時間が計り知れなくなります。もし、今の世代が解決に向けた努力を怠れば、次の世代では、お金や時間をかけるだけでは処理できなくなるはずです。

③ 加害者は誰か?

水俣病の加害者はチッソ、四日市ぜんそくの加害者は周囲の工場群でした。公害の場合、このように公害の原因の特定が可能でした。つまり加害者は誰かという問いに誰々と答えられたわけです。加害者がはっきりとしている分、公害の発生源を封じることは比較的容易といえます。しかし、地球環境問題では違います。考えてみましょう。

③-①ゴミ処理に伴うダイオキシン

例えば、ダイオキシンに関して言うと、日本は枯葉剤を撒かれたベトナムの3倍の濃度を持つまでになってしまいました。これはゴミの処理方法の問題といえます。
 ダイオキシンを出さない為には850度以上、できれば1200度以上で燃焼する必要があります。日本のゴミ処理場数1850ヶ所、ドイツのゴミ処理場数50ヶ所です。日本とドイツのゴミ処理場の数がこれだけ違うのが何故かと言えば、ダイオキシンを発生させない為には、高温で燃焼する必要がある為、高性能な処理場が必要だからドイツのゴミ処理場の数は少ないのです。もちろん日本ほどゴミを燃やして処理する国も他に例を見ませんが、日本では高性能なゴミ処理場の数は多くはありません。小さな自治体では財源も限られます。これがダイオキシンに取り組まなかった国[日本]と18年前から取り組んできた国[ドイツ]との違いです。

また、日本のゴミ処理施設でも、性能上は850度くらいの力はあるはずですが、実態は350度~400度で燃やしています。これでは、ダイオキシンを出さないための燃焼温度に遠く及びません。
これはゴミの回収のしくみの問題で、日本の場合生ゴミをも燃えるゴミとして回収し、燃やしているが、生ゴミの80%は水分です。これでは燃やした上から水をかけているようなもので、高温での燃焼が不可能になります。ヨーロッパではすでに生ゴミはコンポスト化(肥料化)しています。「生ゴミ」はゴミではなく肥料=資源と認識されています。

③-②農薬によるダイオキシン

さて、ダイオキシンというと、もう1つの問題には農薬があります。特に除草剤の中にまざっているダイオキシンの量はおびただしいものがあります。日本の農地面積は世界の農地面積の0.2%です。しかし日本で使われている除草剤の量は世界で使われている使用量の57.6%なのです。化学肥料はアメリカの7倍EUの13倍使っています。 これでは日本で農業をしていると言うことは環境破壊そのものと言っても過言ではないでしょう。
日本という国で農業をするということは、環境破壊をしているということと同じようなものです。
このようなことが、どうして起こるかといえば、日本では消費者が美しい、見かけの良い方を選ぶからです。例えば、イボの無いきゅうりはかなり弱いので、肥料と農薬で大事に守ってあげないといけないのです。
農薬がかかてっていない証拠ということで、見た目が汚い商品も好かれる外国と違って、日本では消費者が生産者に農薬を使うことを求めています。消費者が直接求めないまでも、消費者の選択の結果が農薬を使うことを求めています。
さて、何が言いたいのかもうお分かりになったと思います。

地球環境問題において

――――――――――――――

加害者は誰か? 皆さんです。

被害者は誰か? 皆さんです。

――――――――――――――

公害というのは加害者と被害者がはっきりとしていましたが、地球環境問題というのは加害者と被害者がはっきりしていません。
私たち自身が加害者であり、同時に被害者という訳です。つまり、多くの消費者が塩ビを含んだものを使わないとすれば、日本のメーカーは消費者動向に敏感ですから、あっという間に変わります。地球環境問題は自分たち自身の問題であるといえます。私たち自身が変わらなくてはなりません。

ところで、日本という国は対策型国家です。しかし、私は対策型国家のままの日本では良くないと考えています。
あきらかに日本は大きなパラダイム・シフトをして予防型国家をつくらなくてはなりません。ここには正反対の価値感が必要になります。皆さんは地球環境問題に関しては加害者です。ゴミはちゃんと生ゴミを絞ってだしていますか?あるいは、生ゴミはゴミではないという発想をもっているかどうかが、重要だと思います。

「所沢でとった野菜、埼玉県でとった野菜は食べない。」とい方が居られまが、それは、目先のほんの少しの問題を回避できるかもしれないだけで、本当に自分自身を守ることにならないのではないでしょうか?

成長と地球環境問題 高見裕一氏

3%成長を堅調な推移と呼びます。これを成し遂げていったとして単純に計算をしていきますと20年で2倍、100年で20倍となっていきます。日本のGNPは513兆7千億円ですから堅調な推移をした場合100年後には日本のGNPは1京円ということになります。これはリアリティーのある数字とは言いにくいのではないでしょうか?
現在日本の車の数は7300万台です。現在中国は2020年までに日本に追いつけ追い越せ政策を取っております。この国の人口は公称でも12億7千万人です。日本の車の数が7300万台であることを単純にあてはめると7億3000万台の車が中国に走ることになります。この数字にリアリティーがあるでしょうか?もはや成長を期待すること自体に無理があるようにしか思えません。

ここで「環境容量」という言葉を覚えてください。自然には汚染物質をきれいにする機能というものがあります。しかし、地球の浄化作用能力を超えて、ゴミを排出し続けた結果地球のキャパシティーを超えてしまいました。これが地球環境問題の本質です。土地、川、海、自然には汚染した物質をきれいにする力があります。しかし、近年の人類は自然の処理容量をはるかに越えて、ゴミを排出し続けています。
1972年に開かれた地球サミットのキー・ワードは「有限」でした。ローマクラブでは「成長の限界」でした。もうそれが言われてから25年になります。しかし、私たちは、特に日本人は、残念ながら有限というキーワードを未だに理解していません。地球は無限ではない。あたりまえのことです。
では「地球は有限なのだ」ということをきちんと理解して、有限の地球と付き合っていく方法を身につけたでしょうか?はっきりいって身につけたとはとうてい言うことはできません。特に先進国では日本とアメリカが遅れています。

これまで社会を引っ張ってきたイデオロギーには、共産主義というやり方と資本主義というやり方があります。このやり方を山登りに例えると、実は1つの山に登っていたに過ぎません。1つの山を資本主義というやり方は西から登り、共産主義と言うやり方は東から登りました。さて、1つの山とは何でしょうか?

より発展すること。より豊になること。より効率的になること。つまり、大量生産、大量消費、大量廃棄という大きな循環です。言わば、これは人類のゴミの山です。その山に登る努力を私たちは、資本主義、共産主義というやり方でやってきたのです。しかし今、この山は崩れました。

自由民主党という政党が日本にはあります。私は、あの政党は確実に近い内に崩壊すると思っています。それは何故か?彼らのアイデンティティーは2つしかない。1つは反共、1つは経済成長です。反共は相手がいなくなりました。経済成長はもはやできません。1京円のGNPをもつ国はリアルではありません。しかも、地球上の限られた国だけならいざしらず、中国が、インドが、あの14億とも15億ともいわれる人口を抱える国々が同じ道をたどることはリアルではありません。彼らは言います。「お前たちはいいよ。日本人やアメリカ人はこれまで使い放題使って、ゴミを出し放題出したきた。俺たちはこれからだ。なんで、お前たちにあわせなくちゃいけないんだ。今度はお前たちががまんする番だ。お前たちがまずやめろ。それからでないと、お前たちの話を聞く気はない。」と。相手からすると正論です。しかし、そんなことしたら、日本の経済成長は止まってしまいます。経済成長は美だという考え方はもう通用しないと思った方が良いのでしょうか?私はそう思います。もはや「あの山」はないのです。しかし、残念ながら、私たちの経済の仕組みというのは、共産主義か資本主義かということでやってきました。その次ぎのパラダイムにいきついていない。
今こそ、人類は有限の地球という時代を迎えて、この有限の地球に対応する、新しいイデオロギー、新しい経済システム、新しい倫理というものを身につけなくてはならない時期にきています。

ちょうど天動説があたりまえの時代、コペルニクスは「それでも地球は回っている。」と地動説を唱えました。コペルニクス的転回、大きな価値観の、大きな考え方の大転換の時代でした。そのような価値観の大転換が今起きる契機が、今まで私たちが地球が無限であったと思っていたが、実は有限であったことへの「気づき」です。
有限の地球に合わせた価値観を持たなくてはなりません。それこそ、有限の地球に対応するには、私たち1人ひとりの無限の英知しかないのです。

有限の地球時代に対応する無限の英知というものを、1人ひとりの日本人が身に付けていかなければならない時代にきています。今日が、そのことを本質的に理解していただいくささやかな機会になればと思います。

誰が負担するのか? 枝野幸男

今の高見さんのような地球環境問題に対する認識をベースに、現在政治の現状で起こっていることは何かということを少し私の方からお話しをさせていただきたいと思います。

まさに、地球環境問題についての1つの悩ましさは、加害者は誰か?被害者は誰か?ということが明確ではないというところのポイントがあるのではないかと思います。つまり、誰がそのコストを負担するのかについて、まだまだコンセンサスができていないということです。
言うまでもなく、環境問題を解決していく具体的な個別の対策をしようとしたときに、そのコストは皆でというか、国民全般で負担しなくてはならない部分が生じてきます。しかし、今までの公害問題解決の発想からすると、費用は企業が負担すれば良いというような議論が、現実の場面では出てきます。確かに、公害問題解決への場面では、例えばチッソが負担することでものごとは解決したけれども、温暖化物質の排出等について、特定の企業にだけ負担させるという理屈が理屈としてあるかといえば、結果としてありません。そして、経済の原則からいっても、企業一般に負担させるということは、価格にはねかえるとか、何らかの形で消費者全体で負担をすることになります。一時的に企業がその肩代わりをすることにすぎないのです。にもかかわらず、実はまだまだ、消費者が負担するのか、国が負担するのか、企業が負担するのかというようなちょっとピントのずれた議論が行なわれているというのが、現実問題として存在しています。

地球環境問題解決へ向けた負担は、個々が負担するというのではなく、国民全体が負担するのだという共通認識があるべきで、どのようなやり方でやったら、公平で、合理的なのかとう議論に発展していかないといけないはずです。
しかし、そのような議論に立ち入ってはいないというのが現状であり、これが地球環境問題への対応の遅れの原因になっていると思います。

地球環境問題に対応できるための政治の変革。 枝野幸男

もう1点、戦後政治が抱えている矛盾点というものが、1番端的に現れるのが、地球環境問題と思っています。
そして、ここの対応が変わるということは、政治の対応全般が変わるということになっていくと思います。この矛盾とは利益誘導型政治のはらむ矛盾です。今までも、利益誘導型政治は駄目なんだということをくりかえし言ってきました。日本の政治は、基本的な構造はここから脱却していません。金融問題に関して言えば、経営者は、「このままでは、自分たちが責任を取らされることになるから、かんべんしてくれ。」という本音が見えるような要請をしてきます。借り手側は、とにかくお金を借りやすくしてくれという欲望でものを言います。納税者の立場からは、とにかく税金を1銭でも使わないでくれと言います。それぞれの立場がもつ欲望をどうやって満たしていくのかが、今までの政治の機能とも言えるのかもしれません。

しかし、今まさに地球環境問題は典型ですが、それぞれの目先の欲望で動いてしまった時には、全体が不幸になることがあります。全体が不幸になることを抑止すること、そのシステムをつくることが、これからの時代の政治の仕事ではないかと思います。地球環境問題は、目先のことを追って人類が生き抜けなくなるという大きなしっぺがいしを受けてしまいます。

こういった時代の政治というのは、大変難しいと思います。個々の皆さんの欲望は理解できたとしても、全体の利益の為にそれぞれの方にちょっとずつお願いしていかなければなりません。つまり、すべての人にちょとずつお願いをしていくことになります。目先のこと、それぞれの立場における欲望を我慢していただくことで、トータルの結果としてそれぞれの方が幸せではないかとうことを説得していくことが、これからの政治に求められる機能と言えると思います。利益誘導、癒着の構造を温存していては、自分の主張そのものが説得力をもたなくなる時代に入っていくのではないかと思います。目先や利権ではなく、ビジョンをもち、かつビジョンを訴える説得力をもつだけの政治ができることが、地球環境のような問題の解決には不可欠なことです。

目先のことをがまんしながら、社会全体の利益を目指す。先のことを説得できる政治にすることが個別利益の政治から飛び出すポイントではないでしょうか。政治の姿勢が変わる時に、始めて地球環境問題のような問題に対応できると思います。

※ 議論省略

編集責任:枝野幸男事務所



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