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衆議院-本会議

日本国憲法の改正及び国政における重要な問題に係る案件の 発議手続及び国民投票に関する法律案
趣旨説明


平成18年06月01日
民主党・無所属クラブ
枝野幸男

【はじめに】

私は、民主党・無所属クラブの提案者を代表して、ただいま議題となりました「日本国憲法の改正及び国政における重要な問題に係る案件の発議手続及び国民投票に関する法律案」について、その趣旨を説明いたします。

この法律案は、日本国憲法96条に規定する憲法改正国民投票に関する手続と、国政における重要な問題についての諮問的国民投票に関する手続とを、一体のものとして定め、あわせてそれぞれの発議に関する手続の整備を行うものです。

【憲法改正国民投票法制整備の必要性】

憲法改正にかかる国会による発議手続きや、国民投票のための具体的手続は、本来、1946年改正の際、憲法付属法として同時に整備されるべきものでした。ところが46年改正の後、間もなくすると、発議や国民投票の手続を整備することが、憲法改正そのものの是非論と結びつき、具体的テーマとなりえない状況となってしまいました。

しかし、これら手続の整備は、本来、憲法改正そのものに関する議論と、区別して進められるべきです。

そもそも憲法が、その改正に国民投票を要求しているのは、憲法や立憲主義の本質的意義に由来します。すなわち憲法とは、主権者が、国家の公的機関に権力の行使を委託し、その公権力行使に関する基本的ルールを規定するものです。民主主義の国家においては、主権者たる国民が、国会、内閣、裁判所、地方公共団体等の機関にその権力を委託し、その行使に関するルールと限界を規定するという性格を持ちます。だからこそ、委託を受けている国会のみでは、その改正を判断することができず、委託をしている主権者みずからが直接、判断することとされているのです。

したがって、その手続は、主権者たる国民の意思が正確に反映されるよう、中立公正に整備される必要があります。この手続が偏ったものであるならば、改正されるにしろ、されないにしろ、立憲主義そのものの正当性に、大きな疑念を生じるからです。

中立公正な手続を作るためには、憲法そのものの議論とは切り離すことが不可欠です。具体的な憲法改正案を前提として議論すれば、改正を推進する者はできるだけ改正が簡単であるように、改正に反対する者はできるだけ改正が困難であるように、それぞれ手続のあり方を考えてしまいがちです。また、そう考えるであろうという疑いの目で見られること自体、できあがった手続に対する信頼を損ねることになります。

残念ながら既に、具体的な憲法改正案を提示している政党が存在する一方で、いかなる改正でも反対するという政党も存在し、中立公正な手続を作るための前提は崩れつつあるとも言えます。しかし、幸いにしてわが党は、憲法を変えることを含めて、そのあり方を一から議論し、国民との対話集会を重ねていますが、具体的改正の是非についての結論を出していません。すなわち、改正が容易な手続にすべきであるのか、改正が困難な手続にすべきであるのか、中立性を疑われにくい立場にあります。
私たちは、こうした重要な立場にある責任を十分自覚しながら、中立公正な国民投票制度のあり方を、真摯に議論してきました。具体的改憲案を持っている政党にとっても、一切の改正に反対する政党にとっても、どちらから見ても中立的な制度を構築するには、民主党の議論が軸にならざるを得ないという自負と責任感をもって、本法律案を提起しています。

【国政問題国民投票制度の必要性と合理性】

ところで、憲法改正国民投票制度は、間接民主制を基本とするわが国政にあって、直接的に国民の意思を問う例外的な制度です。そして、立憲主義の観点から、直接的に国民の意思を問うことが望ましい案件は、憲法の条文そのものを改正するケースに、必ずしも限られません。

もちろん、国会が国権の最高機関であり、唯一の立法機関であるとする憲法の規定に照らし、国会の意思とは無関係に、国会の立法権限を法的に制約するような手続は認められません。しかし、特に立憲主義にかかわる問題について、国会が自らの意思に基づき、諮問的に国民の意思を問い、その主権者の意思を十分に考慮しながら権限行使することは、何ら憲法に反するものではなく、むしろその趣旨に叶うことです。

こう考えると、法体系的には、国会が、一般的に国民の意思を問う諮問的国民投票制度こそが基本に存在し、特に憲法で規定された、必要的で拘束力を持つ憲法改正国民投票制度は、その特例として位置づけられます。一般法がないまま、特例法を制定するのは不自然なことです。

このため、私たちは、一般法である諮問的国民投票制度の創設と、その特例法である憲法改正国民投票制度の創設とを、一本の法律として提案しています。

【法案の主な内容】

以上が本法律案を提出するに至った経緯及び理由でありますが、以下、ポイントとなる点に絞って、その内容を説明します。

[投票権年齢]
第一に、投票権者の範囲です。

わが党は従来から、選挙権年齢や少年法適用範囲をはじめとする成人年齢について、国際的な標準や社会通念に基づき、18歳に引き下げることを主張しています。このこと自体、すみやかに実現すべきと考えますが、残念ながらその具体的目処は立っていません。

こうした中、せめて少なくとも憲法改正国民投票に関しては、他に先行してでも、18歳に引き下げるべきです。

すなわち、選挙権行使の結果選ばれる議員等の任期は、最長でも6年です。これに対して憲法の場合、もし改正された場合、相当長期にわたってその効果が継続します。したがって、この国の未来に、より長期にわたって関わっていく若い世代に、可能な限り決定に参加する機会を認めることが必要です。アメリカ合衆国第三代大統領で、合衆国憲法起草者の一人でもあり、立憲主義の父と言われるThomas JEFFERSONも、「死者が生者を拘束すべき理由はない。各世代は、それぞれみずからの憲法を選ぶべきである。」と述べています。

こうしたことから、本法律案では、投票権年齢を原則18歳まで引き下げ、さらには、案件によって、国会の意思に基づき、これを16歳まで引き下げることが可能なこととしています。

[賛否の表示方法]
第二に、投票用紙への記載方法及び過半数の意義についてです。

憲法96条は、国会の発議に対する国民の「承認」を要求しています。「承認」するとは、発議を是とすることです。投票に行くことなく、積極的にみずからの権利を放棄した者まで、分母に加えることは適切でないと考えますが、わざわざ投票所まで足を運び、かつ、是とする意思を示さなかった者については、承認の意思がなかったものと判断するのが適切です。

このため本法律案では、国会の発議を是としこれを承認する者が、投票用紙に○印を付すものとし、○印を付した票が投票総数の過半数に達した場合に、憲法が改正されるものとしました。

[国民投票運動]
第三に、いわゆる国民投票運動についてです。

国民投票と公職選挙は、投票という行動では似ています。しかし、公職選挙が、特定の人や政党を選ぶのに対して、国民投票は、国民としての政治的意思そのものを選択するものであり、まったく質が異なっています。また、選挙においては、政党や候補者という運動主体が、事実上限定的に存在しますが、国民投票においては、賛成又は反対の意見を持つすべての国民が、運動の主体となりえます。

特に、選挙においては、候補者の氏名等を表示しなければ、原則として政治的意見表明とされ、運動規制の対象とならないのが普通です。しかし、国民投票では、改正に「賛成又は反対」と言わなくても、具体的な政治的意見を表明すれば、それが改正賛成又は反対の運動をするのと、ほぼ同じ効果が発生します。もし具体的に「賛成又は反対」と言わなくても規制の対象になり得るならば、政治的意見表明との区別がつかず、政治的意見表明そのものに、強い萎縮効果が働きます。

憲法21条でも規定している表現の自由、特に政治的表現の自由は、民主主義が健全に機能するための前提として、不可欠なものです。しかも、主権者として最も重要な権利行使の機会である憲法改正手続において、この政治的表現の自由が害されるならば、民主主義は機能しないことになります。

このため、少しでも萎縮効果の生じることのないよう、次の二点で特に配慮した制度としています。

一つは、特定公務員の運動禁止や、公務員・教育者の地位利用による運動禁止についてです。

運動と意見表明が明確に区別できない以上、これらの者に選挙法類似の規制をかければ、事実上、意見表明の自由すら奪われることになります。また、地位利用に限定するとしても、公職選挙法における「地位利用」の解釈は、教員が授業で話すことなど、かなり広範に認められています。つまり、大学の憲法教官が、授業で憲法に関する意見を述べることにまで、萎縮効果が働きかねないという、おかしなことが生じます。

このため本法律案では、規制の対象を、投票事務等に関与する公務員に限定しました。これらの者については、萎縮効果の恐れを考慮しても、投票管理の公正さの観点から規制が必要であると考えたからです。

もう一つは、買収罪についてです。

私たちも、一票を金で買うような行為が、国民投票においても許されるものではないと考えます。一方で、例えば仕事帰りの職場仲間が、居酒屋で憲法談義を展開することは、国民投票の際に期待される望ましい姿です。ところが、運動と意見表明の区別が明確に出来ない中では、こうしたケースで上司が飲み代を払った場合、買収罪に該当する可能性があることを、明確に排除することができません。

いろいろと工夫を重ねてきましたが、萎縮効果が生じないよう、本当に悪質なケースだけが対象になる構成要件を設けることは、困難であるとの結論に達し、買収罪を設けないこととしました。

【おわりに】

以上が本法律案の主な内容ですが、最後に、皆さんに申し上げます。

ひとつは、この法律案と与党案が、1946年の憲法改正後に審議されてきたすべての法律案の中で、ある意味、最も重要な法律案であるということです。

私たち国会議員は、さまざまな政策課題について、さまざまな権限を行使しています。このことの正当性は、すべて憲法に由来します。その憲法改正に関わる手続が中立公正でなければ、権限行使の正当性そのものが揺らぎます。

46年改正以降、憲法改正手続に関する法律案の審議は、一切なされてきませんでした。今回はじめて行われるこの審議が、慎重かつ真摯に、そして公平公正になされなければ、他のすべてについて、私たちの議論と権限行使そのものの正当性が疑われます。

また、各種世論調査等によると、憲法改正に国民投票が必要であることを知っている国民は、多くても2割程度にとどまってきました。国民自身が、みずからの主権を行使するための手続なのですから、その中身について十分な理解を得た上で整備すべきことは、当然です。中身どころか、必要性すら周知されていない状況を踏まえるならば、国会での開かれた真摯な議論を通じて、まずは国民の理解を得ることが重要です。

議員各位には、ぜひ、こうした謙虚な姿勢で法案審議に臨まれること、そして拙速に陥ることなく、広範な理解と合意を形成するために努力されるよう、強く希望します。

もう一つ、まず具体的改正案をお持ちの皆さん。

これら法律案の審議は、「改憲への一里塚」でも、「改憲へのステップ」でもありません。憲法改正の是非を判断するのは、主権者たる国民であり、これから議論される手続が「改正のための手続」としての意味を持つのか、それとも「改正を否定するための手続」としての意味を持つのかは、その都度、国民が決めることです。

「改正に向けた」ものとしてこの法律案をとらえ、そのような主張をされるならば、改正に有利な制度になるのではないか、中立公正な制度にはならないのではないかとの、重大な疑義を生じます。これは、わが国の立憲主義にとって自殺行為です。私は、このような考えを持ち、このような発言をされる方々とは、この法律案について真摯に議論することが不可能であると考えています。

一方、一切の憲法改正に反対であることを表明している皆さん。

皆さんは、国民の多くが憲法改正を望んでいないとして、そのことを、国民投票法制が必要でないことの論拠としています。しかし、そうであるならば、むしろ国民投票によって具体的改憲発議を否決し、そのことで、国民の意思を、より明確にすべきではないでしょうか。

もちろん、制度設計によっては、国民の意思が正確に投票結果に反映しない恐れがあるのは確かです。しかし、だからこそ、改正を目指す者と、改正に反対する者とが真摯に議論し、双方が納得できる中立公正な制度を創設することが重要なのであり、皆さんはそのことに、重い責任を負っており、積極的な役割を果たす必要があるのではないでしょうか。

私は、この法律案のうち、少なくとも憲法改正に関連する部分については、時間をかけてでも、全会一致で制定されることが望ましいと考えています。繰り返しますが、改正賛成派に有利であっても、改正反対派に有利であっても、国民の正確な意思を捉えることはできず、そうなれば、立憲主義と民主主義そのものの自殺行為です。

そうさせないために、私たち民主党の責任が重いことを自覚しつつ、議員各位に、謙虚かつ真摯な議論を重ねてお願いして、趣旨の説明といたします。