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 議事録


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衆議院-日本国憲法に関する調査特別委員会


平成18年03月09日

[日本国憲法改正国民投票制度について]

○中山委員長

 これより会議を開きます。

 日本国憲法改正国民投票制度及び日本国憲法に関する件について調査を進めます。

 本日の議事の進め方について申し上げます。

 まず、保岡興治君及び枝野幸男君から、日本国憲法改正国民投票制度について、基調となる御意見を順次二十分以内でお述べいただきます。

 次に、各会派一名ずつ大会派順に十分以内で基調発言者に対する質疑または発言を行います。

<省略>

○枝野委員

 民主党・無所属クラブの枝野でございます。

 憲法改正国民投票制度に関連をして、現時点で民主党の考えていることについて発言をいたします。

 一部、私の個人的私見の入る可能性がありますが、その場合には主語を明確に使い分けようと思っておりますので、御理解ください。

 まず、憲法改正の国民投票制度の必要性についてでございますが、憲法に憲法改正の手続規定があり、そこに国民投票というものが求められている以上、本来、憲法附属法として、憲法の公布後、施行までの間につくられるべきものであったと考えております。今までなかったことが立法不作為に当たるとは考えませんが、しかしながら、本来、憲法を具体的に変える、変えないという議論とは切り離して国民投票制度は常に準備をされておくべき制度であるというふうに考えております。

 したがいまして、六十年放置をしていたのですから拙速に走る必要はありませんけれども、できるだけ早く、幅広い合意に基づいてこの国民投票制度が整備されるべきであると考えております。

 なお、この制度は、まさに国民の皆さんの判断を仰ぐための共通のルールづくりでありますから、憲法改正についての意見の違いを超えて、中立公正で幅広い合意に基づいてつくられるべきであるというふうに考えております。

 なお、この国民投票法制の整備について、憲法改正に向けた準備であるという見方がありますが、私はそう考えてはおりません。国民投票制度は、憲法改正を実現するための制度ではなくて、同時に、国民に憲法改正を否決する機会を与える制度でもある。その二つの側面があって、そのどちらを選ぶのかを国民に決めていただくという制度なのであって、その制度をつくる側が、国民投票を憲法改正に向けたものであるとかないとかということを我々が一方的に決めつけること自体が、国民投票あるいは国民主権という原理から、違っているのではないかというふうに思っております。

 さて、国民投票制度ということで、本委員会の本日の議題にもそう書いてありますが、中身に入ります前に、この国民投票制度は、国会における憲法改正発議ルールと一体的に議論をされ、一体的に整備をされなければ意味がないということを指摘しておきたいというふうに思います。

 国民投票制度があっても、発議のための制度がなければ発議がなされないわけですから、国民投票自体も発動されないということになります。したがいまして、国民投票制度だけをつくるということは無意味であると言わざるを得ません。

 また、発議のルールと国民投票のルールというものは一体不可分であります。この委員会におきましても、いわゆる一括投票か否かということがこの間も議論をされてきておりますが、そもそも発議においてどういう形で発議をするのかということ自体が、投票を一括で行うのかどうかということと連動してくる話でありますので、これを切り離した議論は不可能であるというふうに考えております。

 したがいまして、本委員会では、国民投票制度と同時に、発議のための国会議論のルールについてもしっかりと議論をする、そして同時並行で決定をしていかなければならないと考えております。

 さて、中身に入りますが、私どもは、憲法改正国民投票制度と一般的な諮問的国民投票制度を同時に一つの制度として制定すべきであると考えております。

 いずれも国民主権の直接的な発露ということでは同根であります。それが、あるときには憲法の改正の是非について国民が直接意思を示すということであり、あるときには国会の求めに応じて国民の意思を国会に対して諮問的に出すということでありますので、両者は同根であります。また、実際にそうした国民投票を行うとすれば、憲法改正手続のための国民投票であれ、一般的な諮問的国民投票であれ、そのルールのあり方について、違ったルールであるということの説明はできないだろうというふうに思っております。

 しかも、諮問的国民投票制度を準備しておくべき必要性は高まっているというふうに思っております。

 例えば、近時、一部、皇室典範についての議論が国会の外ではなされているようであります。この中身については立ち入りませんが、私は、いずれにしろ皇室典範、特に皇位継承順位についての決定を下すに当たっては、天皇が国民統合の象徴であるということにかんがみるならば、国民それぞれが自分もその決定に参画をして皇位継承順位が決まったという参加意識を持つことが、国民の統合の象徴であり続けることのために不可欠であるというふうに思います。

 したがいまして、国会で全会一致になるぐらい当たり前というか当然とかということであるならば別でありますけれども、例えば、国会の中で意見が分かれるような場合に、国会議員七百数名だけで物を決めるということでは、国民統合の象徴という天皇制の本質と私は食い違っていくと思っております。

 したがいまして、国会で全会一致でないならば、諮問的国民投票にかけて、国民の皆さん自身が自分が決めた皇位継承順位であるという認識を持っていただくことが不可欠であると思っております。

 さらにまた、これは敬愛する中山委員長と意見が違っているテーマでありますが、かつてこの国会で臓器移植の法律をつくりました。各党とも、党議拘束を外す、そういった意味では非常に柔軟な対応をなされました。私は脳死を人の死と定義せずに、成立しましたいわゆる中山案と言われるものは脳死を人の死と定義してというところが大きな違いでありましたが、いずれにしても、臓器移植が充実をしていく、臓器移植の機会が広がるということについては同じ思いでありました。

 残念ながら、臓器移植法が成立をしましたが、当初の予想に比べてこの臓器移植というものが広がっていないという現状にございます。まさに人の死にかかわるような問題、あるいは臓器移植についてどう考えるのかという問題、各政党が政党として国民の意思を統合していくということは、党議拘束を外したということからも明らかなように、なかなか困難なテーマであります。

 こうしたテーマについて、直接国民の皆さんに、諮問的国民投票にかけて御自身で考えていただいて、もちろんその結果は賛成、反対、いろいろあるでしょう。例えば、御自身で、当事者として一票を投じるに当たって、脳死や臓器移植について考えていただいた上でこうした制度をつくっていれば、私はこの問題に対する周知といいますか、あるいは関心といいますか、そういったものが現状よりさらに高く、臓器移植の普及ということにも役立ったのではないかと思っております。

 その他さまざま今私たち国会が議論をし決めなければならないテーマの中には、国民の皆さんに諮問的に意見を聞くことがさまざまな意味でプラスの効果を及ぼすというテーマはふえているというふうに思っておりまして、諮問的国民投票制度を早期につくる必要があると考えております。

 もちろん、国民投票には弊害があるということは、中山団長のもとヨーロッパを視察してまいりまして私どもも共通認識でございますが、諮問的国民投票で国会がきちっとコントロールをするといいますか、国会の多数で一致をして国民に直接聞いてみようというケースに限定をするということであれば国会がコントロール可能でありますので、その弊害は十分に除去できるというふうに考えております。

 さて、続いて、具体的な国民投票ルールについて意見を申し述べていきたいと思います。

 まず、投票権者の範囲でございます。ヨーロッパでの調査はもとより、各国の状況を調査しますと、世界のほぼコンセンサスと言っていいのが十八歳成人であろうかというふうに考えております。そして、十八歳成人のもとで、十八歳以上に、まさに主権者として最も重要な権利である国民投票に参加していただくということは、私は不可欠であるというふうに思っております。

 もちろん、他の制度との整合性、例えば公職選挙法あるいは少年法、民法その他の各種法律との整合性ということは重要であると思います。

 しかしながら、この十八歳成人に関する所管は、実は官庁は非常に多岐に及んでおります。しかも、成人年齢を決める主務官庁はどこなのかということについて、存在はしません。しないと言っていいんだろうと思います。民法は民法的観点から二十を成人としている。刑法は刑法的観点から二十を成人としている。省庁ではありませんが、法務省の民事局と刑事局との間ですら、この調整をすることには、あるいはどちらがイニシアチブをとるのかということには、なかなか困難があるのではないかというふうに思っております。

 まさにこれこそ国会が主導して決めていく、そして国会が主導して決めたことに従って各省庁が所管する法律を十八歳成人に合わせて整備をしていくというテーマでありますし、主権者の範囲をどうするのか、主権者として権利行使を直接具体的にできる範囲はどこなのかというのは、まさに我々が所管をしている憲法的テーマであるというふうに思っております。

 したがって、私は、最終的には二年、三年、関連法を整えるということの経過措置は必要かもしれませんが、少なくともいつまでに十八歳成人にするのかということをまさに決定する権限は憲法を扱っている私どものところにある、したがって私どもの責任で十八歳成人をここで議論して決めていくべきであるというふうに考えております。

 なお、これはヨーロッパ調査の報告の際も申し上げたかと思いますが、あるいは以前この委員会でも私見として申し上げましたが、私見として申し上げます。

 十八歳成人といった場合に、多くの高校三年生が誕生日によって、高校三年生だけれども投票権、成人を迎えるという人とまだ迎えていないという人の両方を抱えるということになります。酒、たばこについては成人年齢というものと横並びにすべきかどうかという、これは議論はあるかもしれませんが、成人年齢を十八にすれば、少年法その他の扱いはそこで区切られるということになるかと思いますが、あるいはまさに投票できるのかできないのか、同じ教室の中で、同学年、同い年と思っている者の中で、投票権を持つ者、持たない者、少年法の適用をされる者、されない者と分かれるのは、少なくとも社会常識的にはちょっと違和感を感じるのではないかと思っています。

 オーストリアだったと思いますが、選挙あるいは国民投票の投票権をその投票の行われる年に十八歳に達する者に与えるということで、実際に誕生日が来ているのか来ていないのかということではなくて、例えば二〇〇六年に誕生日を迎えて十八歳になる人は二〇〇六年の一月一日から投票権を得る、こういう説明を受けました。日本の場合は、例えば十八歳に達した最初の四月二日から投票権を有する、つまり、普通の、多くの人たちは高校を卒業した時点で投票権あるいは成人を迎える、こういった決め方もあるのではないか。これは私見でございますが、指摘をしておきたいというふうに思います。

 なお、投票権者の範囲としては十八歳成人が一番大きく取り上げられていますが、そもそも投票権者名簿をどうするのかという根本の議論がございます。

 有権者名簿でいいではないかという議論もございますが、いわゆる選挙の有権者名簿を使った場合には三カ月居住要件という大変ややこしい問題が出てまいります。選挙の場合は選挙区というものがございますので、その地に継続して三カ月住んでいることが投票の要件になりますので、三カ月以内に二度転居をした場合には二度目の転居から三カ月間はどこにも選挙権がないという状況になります。

 何年に一度行われるかわからない、しかも一番大事な国民投票について、そうしたことの事務的な手間という理由だけでこの人たちに投票権を認めないということでは、私は、それは違憲訴訟を起こされたら負けるというふうに思います。したがいまして、事務的な手間はありますが、その都度、投票権者については、いずれにしろ別の名簿をつくらなければならないだろうというふうに思っております。

 それから、これに関連して、選挙の場合は選挙権の停止の要件がさまざまございます。選挙違反等によって選挙権が停止をされるということは、これは当然だろうと思いますが、この間も議論されてきていますが、選挙において違法なことを行ったということが国民投票において権利行使をすることから外さなければならない直接の根拠になるのかというと、私は違うと思っておりますので、選挙権名簿と別につくるということであるならば、この点について柔軟な対応が可能であろうと思っております。

 次に、国民投票運動の規制について申し上げます。

 このポイントは、国民投票については意見の表明と運動というものを明確に区分することが不可能であることが根本的な問題であろうというふうに思っております。私はこんな憲法改正はひどいと思う、おかしいよねとがんがん言うことの方が、頼むから反対投票してくれないかとささやくよりも実は運動としては大きな効果があるという性質のものであります。

 そして、自分が憲法についてどう考えているのかということの意見表明については、これは規制をすることは許されないことであろうというふうに思っておりますので、そもそも国民投票運動の規制自体は原則不可能なんだという基本認識に立たなければいけないと思います。その上で、どうしてもおかしいと思うところについて何とか意見表明と運動とを区別する知恵を絞る、こういう発想でなければいけないのではないかと思っています。

 例えば、公務員の地位利用について言われています。特別職については別といえば別にすることは可能かもしれませんが、一般職の方を考えても、例えば外交官の方などが他国の外交官と話をするときに、日本の憲法、特に九条関連などについて、ああだ、こうだと意見交換することはないのでしょうか。

 まさに、その地位にあるから外国の外交関係者とそういった意見交換ができるのでありますから、地位利用であります。そこで意見を表明することが例えば他国の日本の憲法に対する認識、意見について影響を与え、その国のしかるべき人がメディア等を通じて発言をするということがあれば、これこそ大変大きな運動ではないのか。そして、まさに本体を規制するならば事前運動にほかならないということなので、以後、日本の外交官は外国の人と憲法について議論するなということになるのでありましょうか。

 あるいは教育者。教育者の地位利用はおかしいじゃないかというのは、一般論としては確かにそうかもしれません。しかし、大学の憲法の教官が憲法の授業をするに当たって、例えば、この規定は現行憲法の憲法改正限界を超えているんだと。ある学者が改正限界を超えているんだと判断をして授業でしゃべっていることについて、改正発議が出されましたら意見を言ってはいけないのか。そんなばかなことはないはずであります。

 したがいまして、まさに地位利用についての要件をもっと絞るのかとか、いろいろな議論はあるかもしれませんが、単純に地位利用による運動規制ということをやれば、こういった問題が出てきます。

 例えば外国人の運動規制。組織的なもので弊害があるものを外すというのは一般論としては正しいと思いますが、例えば日本の有力な同盟国である某国の大使館が、我が国の憲法を変えてもらった方が両国の安全保障関係の強化のためには望ましいと言うことで、事実上ロビー活動をしていませんか。そして、そうした活動は、まさに組織的な外国人による憲法改正についての意見表明であるのは間違いないし、事前運動と評価されかねないという問題になるのではないでしょうか。

 買収罪は、この間も何度も申し上げています。仕事帰りに飲み屋で憲法の雑談をして、ああだこうだ言った後で、だれかが、じゃあおれがきょうは持つわと言ったときを本当に排除できるのか。そういったことに対する萎縮効果を及ぼさないのかというようなことで、かなり知恵が必要だろうというふうに思っております。

 時間が短くなってきましたので急いでしゃべります。

 メディア規制についてですが、ぜひ考えていただきたいのは、メディア規制で新聞などの報道機関と言った場合には各政党などがお持ちの機関紙もすべてその新聞に入るんだ、このことをしっかりと認識しなければいけない。あるいは、テレビ、ラジオについては既に放送法でしっかりとした訓示規定がなされているということを頭に入れておかなければいけないだろうというふうに思っています。

 なお、大事なことは、これは保岡先生もおっしゃいましたが、広報活動です。広報活動について、周知を図ることについては、これは政府のやるべき仕事ではないということで、政府のいわゆる選管的な機能は投票日などの広報に限定すべきで、中身についての周知は発議をした国会が責任を持って行うべきであろう。

 そして、その周知、広報の公正さを担保するためには、全会一致発議でない限りは発議の反対者を三分の一以上含む何らかの機関を国会がつくって、そこがコントロールする形で周知、広報を行うべきであり、また、二択で国民に問う以上は、私も迷っておりましたが、二択である以上は、そうしたパンフレット等で周知、広報を図る際には、もちろん客観的にこういう発議がされましたという部分は別として、賛成論と反対論は対等なスペースで周知、広報を図るべきではないかというふうに思っています。

 なお、公費助成をこういった場合に行うかどうかということですが、国会が直接行う広報活動が充実した公平なものになるのであれば、そこに公費を使うということでいいのかなと。逆に、そこが機能しないとか、十分にやらないということだったら、それが必要かな、こんなふうなことを思っております。

 いずれにいたしましても、まだまだたくさんの論点がございます。最初に申し上げましたとおり、憲法を改正するためではなくて、憲法を改正するのか、それとも憲法改正発議を拒否するのか、国民の皆さんに決めていただくための公平中立なルールをつくるということについては、まさにルールづくりですので、幅広い合意に基づいて、拙速に陥らず、しかし急いでつくられることを期待したいと思います。

 以上でございます。

<他の議員の発言部分省略>

○保岡委員

 そもそも、憲法の十五条で成年者による普通選挙の保障という規定がありますので、私は、国際標準に照らしても、成年者による選挙、成年者による国民投票というのが筋だと思っております。

 ただ、御指摘がありますように、国際標準も十八歳以上というものもありますので、また、今の公選法には公選法上の規制もありますが、それをそのまま国民投票に移さなくてもいいものもあるかと思いますが、そういったことも含めて総合的に、十八歳に引き下げることを検討する中で答えを求めていくということがいいのではないか。その点については、非常にすぐれて政治的ですので、政党間でよく話し合って、一定の期間を定めて努力して答えをしっかり出すというような方向性をお互いに共有することが大事ではないかと思っております。

<他の議員の発言部分省略>

○枝野委員

 今御指摘いただきましたうち、選挙人名簿、投票権者名簿については、実は、先ほど申しましたとおり、三カ月居住要件の問題がありますので、いずれにしろ別につくらなきゃいけないだろう。ただ、いわゆる選挙人名簿をベースに、国民投票が発議される都度、投票権者名簿をつくるという形で事務コストは抑えられるのではないかというふうに思っております。

 また、その上で、十八歳以上に投票権を与えるに当たっては、公選法も含めて十八歳以上にすべきであるというのは、公明党の御主張と我々は全く一致をいたしております。ただ、進め方として、例えば公職選挙法は中央選管というか総務省というか、事実上役所が後ろにある制度でありまして、そうなると、法務省はどう考えているんだとか、酒、たばこについてのほかの役所はどう考えているんだとか、いろいろなことでどうしても物事が進んでいくのがおくれると思います。

 それを考えますと、憲法改正国民投票制度、そして主権者としての直接的な具体的な権利行使をすることが、だれができるのかということはまさに憲法的課題と言えますので、私どもの委員会こそがリードをして、そして我々が十八歳と国民投票のルールを決めれば各役所もそれに合わせざるを得なくなる、こういう形で物事を進めていくのが現実的ではないかというふうに考えております。

○石井(啓)委員

 続きまして、国民投票運動に関するメディア規制についてお二方にお伺いしたいと思います。

 国民投票運動に関しましては、原則自由で、投票の公正確保のための最小限の規制を課すということを前提というふうに考えておりますが、その上で、新聞、雑誌、テレビ等の虚偽報道、不法利用に関しては、報道機関の自主規制に任せるということでよいのか、あるいは与党案にありますような最小限の規制を法律上定めた方がよろしいのか、これについてお二方の御見解を伺いたいと思います。

○保岡委員

 先ほどの基調発言でも申し上げましたけれども、憲法改正国民投票の場合は、それぞれの、利益団体も含めた国民全体が国家の基本政策について言論の自由市場の中で自由に意見を闘わせるということが非常に重要だ。したがって、虚偽まがいの報道というものには、反対陣営が言論で対抗することは困難ではないんじゃないだろうか。むしろ、そのような相互の意見の応酬こそが最も効果的、効率的に論議を深め、そして本質を見きわめていくことにつながるんじゃないだろうか。そういった土俵の適正さの確保も、報道機関の自主的な取り組みできちっと対処してもらえればいいんじゃないだろうか。それをマスコミの自主規制として期待をしたいと考えるに至ったところでございます。

○枝野委員

 今、保岡先生のお話は、大体、ほぼ同感でございます。

 基本的には、自主規制といいますか、公権力の側が規制を加えるべきではない。ただ、逆に国会が自主規制を求めるとか促すというのは、これまた日本語としても変でありますので、私は、少なくとも重立ったメディアというものは、我々の方から促したり求めたりしなくても、それぞれが見識に基づいて自主的に対応されるということでいいんではないかと。

 ただ、直接つながるかどうかわかりませんが、先ほど来出ていますが、テレビのCM、スポットCMについては、私自身も結論を出しておりませんが、もうちょっと検討が要るのかなというふうに思っております。

○石井(啓)委員

 それでは、最後の質問になりますが、投票用紙の様式でございます。

 これは投票方式にかかわるわけですが、私は、憲法改正案全体を一括で投票に付すよりも、関連する条項ごとに投票に付する方が憲法改正に関する国民の賛否を適切に判断することができるというふうに思っておりますけれども、したがって、投票用紙の様式も、そういった個別投票に適した様式にすべきであるというふうに考えますが、お二方の御見解を伺いたいと思います。

○保岡委員

 その件も先ほどの基調発言でかなり詳しく申し上げたつもりでありますが、政策的に何が可分で何が不可分か、どこまでが理論的に体系的に関連する項目かということを決めるのは、やはり、ほかならぬ憲法改正案を発議する国会自身だということになるのは当然なことだと思います。

 国会が憲法改正案を発議するに当たって、可分な項目は別個の議案として発議して国民投票に付するように努めなければならないというような原則的なルールは、しっかり今度の国民投票法の中に盛り込んだらどうだろうかと考えているところで、これは、今石井さんや、かねて公明党の御主張に沿うような、あるいは各方面からもそういう意見が非常に強いということを踏まえて、そこにできるだけいいルールを工夫して具体的な形で入れていきたい、そういうふうに期待しています。

○枝野委員

 実は、保岡先生の御発言と似ているんですが、ちょっと違うのかなと思っているところがあります。

 まず、可能な限り分けてということを言わないといけないだろう。つまり、分けることが不可能な部分はもちろん、一緒にしなきゃならない条文、ある条文とある条文が片方だけ賛成多数、片方は反対多数では論理的整合性がつかなくなるというケースはあり得ますから。しかし、分けられるならば、できるだけ分けるということにすべきであると思いますし、その上で、努力義務ではなくて、これは基本的には最後は政治の裁量で、司法の審査には服さないんだと思いますが、ルールとしては、努力義務ではなくて、可能な限り分けて発議しなければならないとすべきだろう。

 その上で、投票用紙は、例えば三つのテーマについて投票するということであれば、一枚の投票用紙に三つの投票欄ではなくて、一枚ごとに一つのテーマを投票するということで、例えば三つならば三回投票箱に投票する、こういう形が国民の混乱を避けて、適切なやり方ではないかと考えています。

<他の議員の発言部分省略>

○笠井委員

 <発言冒頭部省略>・・・民主党の枝野委員に伺いたいと思いますが、民主党も憲法提言ということで出されております。この憲法提言は、拝見しますと、「大いなる国民的議論に資するための一つの素材」として取りまとめたというふうにされております。民主党としては、憲法を変えるか変えないかということはまだ決めていないんだと枝野委員も繰り返し言われておりますけれども、この憲法提言を拝見しますと、多くの国民が、そうはいっても、民主党は改憲を方向づけるものとして提言を出しているという印象を持つだろうというふうに思うんです。

 そこで質問したいんですけれども、枝野議員は、いろいろな場面で、全面改正というのはあり得ないんだと、九十六条の関係も念頭に置いていらっしゃるのかもしれませんが、ということを繰り返しおっしゃっているように私は記憶しているんですが、ところが、この民主党の憲法提言では「未来志向の新しい憲法を構想する」というふうになっていて、内容的にも、統治機構、それから国民の権利と責務、地方自治、安全保障と、全面的な提言になっているというふうに思います。全面改正はあり得ないという言明と、新しい憲法の構想という憲法提言の文言との関係というのはどういうふうに理解したらいいんでしょうか。

○枝野委員

 憲法という言葉が多義的なので、使い分けた方がいいのか、使い分けると専門家以外わけがわからなくなるのかということでいつも非常に悩むのですが、私どもの憲法提言で申し上げている「未来志向の憲法を構想する」といった場合の憲法は、実質的意味の憲法です。それから、全面改正はあり得ないと申し上げているときの憲法は、形式的意味の憲法、いわゆる憲法典です。

 憲法という名前の題のもとにある文言を全部変えるというのは、先ほど笠井議員もおっしゃったとおり、革命でありますから、民主党は革命政党ではありませんので、そういったことは志向はしておりません。ただ、実質的意味の憲法については、いろいろと変えなければならないことはたくさんあると思っています。そして、その論点は、憲法に規定しているあらゆる場面にあると思っています。

 この私どもの提言をよく読んでいただければ、私どもは、必ずしも憲法典、形式的意味の憲法の改正のことを提起しているのではない場面がたくさんあります。例えば選挙制度のあり方でありますとか、あるいは政官の癒着を防止するための政官の接触禁止の話であるとか、さまざま、実質的意味の憲法、公権力のあり方についてのルールということについて、憲法典事項と憲法附属法事項と、あるいはそれ以外の一般法事項とすべてを含めて、実質的意味の憲法について例えばこういう考え方があるんじゃないでしょうか、皆さんどうでしょうかということを提起しているということであります。

<他の議員の発言部分省略>