[欧州各国国民投票制度調査報告]
○枝野委員
民主党・無所属クラブの枝野でございます。
まず冒頭、中山団長を初めとして、ともに参加された団員の皆さん、そしてサポートしていただいた皆さんに、大変充実した調査ができましたことの御礼を申し上げます。
まず、総括的に全体としての主な印象について申し上げたいと思います。
三点ほど、日本で従来考えていたことが裏づけられたかなと。そして、二点ほど、いろいろ調査をさせていただいて、新たな問題点といいますか、検討をしなきゃならないことについて感じてまいりました。
最初の三つは、国民投票運動、あるいはメディアの行動について、基本的には規制を加えるべきではないという考え方、これは各国とも共通をしていたと思っております。それから二つ目に、各国とも成人年齢が十八歳、そして国民投票等の投票権年齢も十八歳、これが、国内での文献等でも把握ができておりましたが、世界の常識であるということ。三つ目には、賛否を問うためにその内容を国民にわかりやすく周知する必要がある、このことが重要であるということ。この三点は日本で考えていたことが今回の調査で裏づけられたと思っております。
二点。一つにはテレビのコマーシャル、あるいはテレビ報道の中立性。ここについては、基本的にはメディアに対しては規制を加えるべきではないと思いますけれども、各国ともテレビという観点についてはさまざまな努力と工夫をされておられます。この点については、一定の検討、考慮が必要ではないかというふうに感じてまいりました。そして二つ目には、国民投票を公権力が濫用する危険性というもの、これもまた各国で指摘を受けてまいりました。この点についての考慮、検討がさらに必要であるということを感じてまいりました。
以下、各国で感じたこと、先ほど来のお三方の報告とできるだけ重ならないように、ポイントを絞ってお話をしたいというふうに思っています。
オーストリアで、投票権年齢について私は大変おもしろいお話を把握してまいりました。
投票権者の年齢は十八歳となっていますが、誕生日を基準としているのではなくて、その年に十八歳になる人すべてに投票権が与えられる。つまり、例えば、ことし二〇〇六年に投票が行われるとすれば、二〇〇六年のいつ投票が行われたとしても、ことしの一月一日から十二月三十一日までのどこかの誕生日で十八歳になる人には投票権が与えられる、こういう仕組みになっていると伺ってまいりました。
私は、前にもこの場で申し上げたかと思いますけれども、個人的には、こうした考え方は我が国の投票権年齢を考える上で考慮に値するのではないだろうか。日本の場合は、一月一日で切るのではなくて、むしろ、いわゆる学齢に応じて四月一日、正確には二日になるんでしょうかのところで線を引いて、そこで、いわゆる普通にいくと高校を卒業する年齢のところで線を引く。
同じ高校三年生の中に投票権を持つ者と持たない者が出るというのは一種、もちろん法律的にとことん詰めれば不公平ではないと言えるかもしれませんけれども、社会通念上少し理解しがたいところがあるのではないか。こうしたことでこのオーストリアの例というのは参考になるのではないかと思っております。
スロバキアでは、この国の特徴として、国民投票の有効要件として投票率が五割以上という要件を、今回訪ねた国の中では唯一持っておりました。もっともこのスロバキアにおいても選挙も含めて投票率の低下の傾向があり、今後は引き下げの議論が生じるかもしれないとはおっしゃっておりましたが、ただ、決して投票率五割以上というのは厳しい要件だとは認識をしていないようでありました。
低い投票率でもよいようなテーマであるならば、そもそも国民投票などにかけずに政治家だけで決めればよいという話を伺いまして、それはそれでもっともだなと思いましたけれども、このあたりのところは、法的に我が国の制度をどう組むかということは別としても、投票率が低くてもいいような状況をつくらない、投票をやはり五割以上確保するというのは、少なくとも政治的には責任があるのではないかと思って戻ってまいりました。
それから、先ほど委員長の御報告にもございましたけれども、この国の国民投票は、基本的人権等について国民投票に付してはいけないということになっております。委員長の御発言にもございましたけれども、基本的人権に関わる問題はいわゆる普遍的な価値にかかわるものであって国民投票をもってしても変更することはできないという近代立憲主義の基本をしっかりと認識、把握をしておりました。
この国は旧ソ連圏にありまして、我々の考える民主主義の歴史は短いはずでありますけれども、この少数者の基本的人権、民主主義というのは多数決をもってしても少数者の人権を侵害することはできないんだという近代立憲主義、近代民主主義の基本については、我が国でも誤解をされている方が少なからずいらっしゃるように私は認識をしております。我々よりも民主主義の歴史は少ないと我々が一般的には思っているスロバキアがしっかりとこうした認識を持って政治を動かしているということに、一種の感銘と恥ずかしさを感じて帰ってまいりました。
スイスについて申し上げます。
スイスについては、先ほど来いろいろなお話が出てきておりますが、私がおもしろいなと思いましたのは、メディアの皆さんがその影響力の大きさについて自負を持っている一方で、主な新聞メディアが一致して、ここは社説で賛否を示しますから、社説等で賛成の意思を示しながら、しかし国民投票の結果はノー、否決をされる、そういう結果が出たこともあるということを御説明いただきました。
それから、スイスの国民投票では約三分の二が事前に郵便で投票をする、この郵便投票の多用ということ。それは先ほど委員長の御報告にもありましたけれども、文化的な背景の違いということはあるかもしれませんけれども、我々は何とかこうして簡易に投票できるということを取り入れなければいけないのではないかとも感じました。
と同時に、投票日が近くなってからメディアが我が新聞は賛成だとか反対だとか言っても、実は既にその時点では多くの人が郵便で投票を済ませているというようなお話がありまして、メディアの影響力について、ある意味では御本人たちも試行錯誤といいますか、迷いながら行動しているのかなというふうに受けとめてまいりました。
なお、これは先ほど来御指摘もいただいておりますが、賛否の中立公正といった場合にどういうふうに、例えば時間の配分とかあるいは広報紙面などの紙面の配分などをどう考えるのか。
スイスにおけるヒアリングの中では、憲法で求められている中立性ということで、例えば九割が賛成、一割が反対だとしても、報道する時間は賛成と反対が五対五になるようにしなければならない。オール・オア・ナッシングで国民投票の場合は聞くわけでありますから、これがオーソドックスな物の考え方かなというふうに受けとめております。
スイスのリンダー教授からのお話は、皆さんいろいろな側面から興味深く御報告がございますが、私が興味深く思いましたのは、先ほどのスロバキアの話の一種裏返しでございますが、投票率の話であります。低い投票率で国民の意思が反映されたと言えるのかということについて、スイスでも四五%程度までいっとき投票率が下がり、若干回復傾向にはあるとしつつも、いろいろな議論があると御紹介をいただきましたが、では、かつての東側独裁国家における九九%の投票率が理想的なものであるのかという指摘を受けました。
まさに、これが決して理想的なものではないというのは、ある意味でこの場にいらっしゃる皆さんの共通認識かというふうに思っておりますが、投票率をどう考えるのかということについての示唆をいただいたというふうに思っております。
最後の訪問国スペインにおきましては、先ほど来、これまで出ておりますが、下院の憲法委員長ゲラ氏からの発言は大変示唆に富んで、私からも、繰り返しになりますが、ここは重要な点ということで指摘をさせていただきたいと思います。
スペインは私どもの国以上の硬性憲法でございます。議会での議決も、間に選挙を挟んで二回しなければならないというふうになって、日本以上の硬性憲法であります。そして、その背景には、フランコ独裁以前のスペインが政権交代のたびに憲法がころころ変わるということを繰り返してきた、そのことの反省を踏まえている。
私どもの国の憲法が硬性憲法であることについてはいろいろな御指摘がありますけれども、先ほど葉梨先生からも御指摘がありましたとおり、憲法が政党間で政策を競い合う共通の土俵という側面を考えれば、決して硬性憲法ということがおかしなことではないということを、改めてゲラ氏の発言で私は確信を持って帰ってまいりました。
済みません、最後に一点だけ、フランスのことを触れさせてください。
フランスではベルサイユを訪ねました。ベルサイユに行ったと言うと観光に行ったんじゃないかと誤解を受けるかもしれませんが、ベルサイユ宮殿の中には両院合同会議、コングレと呼ばれているそうですが、その議場があります。この議場は十八世紀につくられたものがそのまま使われておりますが、第四共和制までは両院議員による大統領選挙に使われておりました。現在の第五共和制下では、憲法改正のための両院合同会議に限って、わざわざパリからやってきてこの議場を使っているということであります。
フランスの憲法改正の場合、既に各院で過半数の賛成が得られていて、その投票結果が出ておりますから、両院合同会議で五分の三が必要ですけれども、それをクリアできるのかどうかということはある意味政治的にはわかっている話でありますから、わざわざパリから出かけていってというのはちょっと形式的ではないかというふうに受けとめました。
しかし、同時に、このベルサイユの合同会議場の議会博物館でフランス革命以来の民主主義と議会の歴史についての説明を聞きながらこの議場に身を置いてみますと、少しぐらい形式的過ぎると思っても丁寧かつ厳格な手続を踏むこと、そのこと自体が民主主義の本質である、民主主義の必要不可欠な要素であるということを体感させられました。私どもの今後の議論に、こうした謙虚な姿勢といいますか、民主主義に対する姿勢というものが求められているということを感じて帰ってまいりました。
ありがとうございました。
<他の議員の発言部分省略>