[国民投票における報道の自由について]
○枝野委員
さっき柴山さんからの話のうち、仮処分、私は仮処分的なものと確か申し上げたつもりなんですが。つまり、現行の制度の何かを援用するとかということよりも、憲法の改正手続だから全く新しい概念をつくってもいいんではないかという意味です。仮処分的なもので、何日以内に決定が出れば、例えば三十日以内に申し立てて六十日以内に効力発生停止の処分を裁判所がすることができるだなんという制度をつくる余地があるんではないかと申し上げました。
しかも、これが使われるケースというのはほとんど想定できなくていいんだと思います。つまり、我々、民主主義で平和な国家に六十年過ごしているわけなので、これから日本がそうなる可能性があるとはほとんど思いませんけれども、しかし、国民投票とか選挙などの折に投票箱がゲリラに奪われて云々とかというのは世界じゅういろいろな国で見られているわけでありまして、そういう本当にごくレアケースについて、しかしそれでも、選挙管理委員会的なところが公告をしてしまったらそれで憲法改正がスタートするのかというのはやはり余りにもというときに、何らかの余地は残しておく必要があるんではないだろうかという趣旨でございます。ほとんどのケースは、それは訴訟で、裁判でいろいろやり合うようなケースは、それは施行してしまってからということでやむを得ないんだろうなと思っております。
それから、発言の機会をいただいたので、先ほどの船田先生からの虚偽報道の件なんですが、選挙における虚偽報道というのは、かなり具体的な打撃も与えるだろうし、具体的に想定もされます。例えば、枝野幸男という候補者が昔こんな悪いことをしたんですよとかということを虚偽で報道などされれば、それは虚偽であるかどうかなどということはかなり具体的に判断もできますし、なおかつ、それは選挙の結果に大きなダメージを与えるだろうと思います。
しかし、まさに国民投票、憲法改正いいか悪いかという政策判断のところにおいて、もちろん、その前提となっているデータみたいなところでの虚偽ということは、論理的に全くないわけではないとは思いますけれども、しかし、人間の経歴とかそういう部分の虚偽と比べて、明らかに想定できるところが少ないだろう。
やはり危惧せざるを得ないのは、例えば具体的な話を、この間の選挙のことを言っていいのかわかりませんが、例えば、郵政民営化が改革の本丸であるというのは我々から見れば虚偽であるということになるわけですね。それは、立場が違えば政策判断、ましてその憲法なりの政策を採用することによって世の中がどうなるのか、よくなるのか悪くなるのかということについて、まさに見方が百八十度違うから意見が分かれるわけでありまして、それを虚偽といえば虚偽なのかもしれない。しかし、それをだれが判断するのかといったときに、非常に困難な問題が出てきます。
ですから、先ほどのお話のとおり選挙とは違いますので、そういう余地をあえてつくらなければならないほどの問題があるのかということになると、選挙と必ずしも横並びである必要はないのではないかと。きょうお二人の参考人の趣旨もそうだったと思いますが、言論の市場において余りにも荒唐無稽な話は淘汰をされるであろうし、それぞれ賛成、反対、双方がきちっとした言論をぶつけ合うということの中で結論が出るのではないだろうかと私は思います。
以上です。
<他の議員の発言部分省略>
○枝野委員
虚偽報道の話はやはり重要なことなので、私の方からさらに発言させていただきたいと思います。
確かに、本当に事実と異なることで、どうしようもない、これはひどいじゃないかという話が全くあり得ないかということを否定するつもりはありません。ただ、報道といったときに何を想定するのか。例えば、いわゆる大新聞であるとか、それからテレビ、ラジオなどの報道機関であれば、もしそれが客観的に虚偽であるというようなことが判明をしたら、別に憲法改正に限らず、既にかなり大きな社会的な制裁を受けるということになっていると思いますし、これからもそうであろうというふうに思います。
そうだとすると、本当にそれを罰則とかそういった形で規制するとすると、それが意味があるとすると、ではどこになるんですかといったときに、実は報道などの定義というのは非常に難しい。前回も申し上げましたけれども、例えば自民党さんの機関紙も報道でしょうし、各政党の機関紙もそうでしょうし、あるいは、いわゆるミニコミ誌的なところまでいろいろな形態があるわけでして、逆に、余り小さなところに対して報道規制という名前の規制がかかれば、いわゆる一般的言論規制とどこが違うのかということになりかねないと思うんですね。そういうリスクを考えたときに、虚偽報道がなされてそれが信じられたまま国民投票になるというリスクとどう考えるのかということになるんじゃないのかなと思っています。
私は、そうはいっても、確かに、住民投票で原発云々というのがきょう出ましたから、ああいう政策課題の住民投票であれば、その原発の安全性の科学的データの虚偽が投票結果に影響を及ぼすみたいな話が想定できるかなとは思いますが、憲法の抽象的な条文をどうするのかというところで虚偽報道がもしあったとしても、しかも、大手メディアについては社会的な制裁でかなりできるんじゃないかということを考えたときには、言論あるいは表現の自由に対する過度の制約になるリスクとの兼ね合いで、せいぜい訓示的規定を置くかどうかという議論はあるのかもしれませんけれども、少なくとも罰則のような話というのは必要ないんではないだろうかなというのが私の現時点の思いであります。
せっかく今、報道、言論のところで発言させていただいたので、先ほど、大分前になりますが、高市委員が外国人の運動の話、これも前回私は申し上げたんですが、組織的な運動を何らかの形で定義できて、それと普通の言論行動を区別できるという前提に立つならば、もしかすると、例えば外国人をどうするのかとか、いろいろな話はあり得るのかもしれません。しかし、憲法改正がいいのか悪いのかということをいろいろなことで発信するということの主体は、選挙のように候補者の周辺に選対本部があってここが組織的運動をするとかということではないわけで、まさにみんなが勝手連的に行うわけですから、組織的な運動と表現行動、言論行動とを線を引くのはほとんど不可能ではないかと思います。
そうした中で、外国人の国民投票運動に対する規制を加えるということだとすると、きょう参考人もおっしゃっていましたが、現時点でも、例えば、アメリカの政府高官が日本の憲法九条は変わった方がいいとか悪いとか、そういう発言をしているのを封じろということになりかねないわけですし、あるいは、そういう発言をしたら国内では報道するなということになってしまうのか、線を引くのは非常に難しいんではないだろうか。もし引けるんだとしたら、逆に、どういう形で運動と言論の仕分けをするのかということが問われるんじゃないかと思っております。
<他の議員の発言部分省略>