[日本国憲法改正国民投票制度及び日本国憲法に関する件]
○枝野委員
きょうの話の中で、国民投票の結果に対して無効の訴訟が起こった場合どうしたらいいのかということも出てまいりましたが、ここは私も、結論的なことを申し上げるわけではないんですが、一つのアイデアとして、こういったことは考えられないだろうかと。
つまり、国民投票の結果に対して無効であるという訴訟が起こされるケースもいろいろなものが想定されるだろう。まさに、実質的にその当否をきちっと判断しなければならないような重要な瑕疵と思われるケース、あるいは、当然内容的に、例えば改正に反対の立場からは、いろいろな手段でそれに反対、抵抗するでありましょうから、そのための一手段として訴訟が提起をされるというケースと、両極端、両方のケースがあり得るんだろうと思います。
このうち、一種の乱訴的な形で訴訟がたくさん提起されるというケースにおいては、それは、とにかく投票が終わったんだからまずは発効させる、それで、裁判が確定、もし無効判決が出たらそのときに効力を失わせるということであってもいいのかもしれません。しかし、実質的に、手続その他において重大な瑕疵があって、実質的な無効であるのかどうかという司法判断が必要であるような訴訟が起こる可能性も否定はできない。このような場合に、これまた事後的でいいのかどうかというのは、きょうの参考人の資料などに、特に高見先生などからもありましたが、非常に疑問の持たれるところであると。
こうした場合に、一つ考えられるのは、例えば、国民投票から何日間か短い期間を限定して、効力発生停止の仮処分的なものをセットする。そこで、非常にラフだけれども、発効を停止させるまでの訴訟であるのかどうかというのを一次スクリーニングをかける。それで、大部分の場合はそこでは効力発生停止の仮処分は認められないであろうと思いますが、まさに重大な手続的な瑕疵などが推定される、推測される、疎明できるようなケースという例外的な場合には、その上で本訴訟に入る、それ以外のケースについては効力を発生させた上で本訴訟に入るというような、丁寧なというか、二段階の手続を踏めば、いろいろな種類の訴訟が想定できるだろうなということに対して対応する余地があるのではないだろうか。現状の行政訴訟などを前提にした、あるいは選挙訴訟などを前提に必ずしもする必要はないんじゃないか。
今、アイデアレベルでありますので、問題点もあろうかと思いますが、今後の検討の上でこういったことも考慮していただければということで提起をさせていただきます。
もう一点。先ほど葉梨先生から、外国人の運動といいますか言論については非常に緻密な分析をしていただきました。それともつながってくるんですが、この間、国民投票運動に対する規制という話と、それから憲法に関する言動、言論に対する規制という話が必ずしも整理をされないで使われている、あるいはこの二つが整理できないところに問題があるという共通認識をもうちょっとちゃんと持たないといけないのではないだろうか。
国民投票運動という形で、選挙運動に類した形で何か特定の主体があって、その主体が何かするということであるならば、規制のかけようはたくさんありますが、まさに憲法改正是か非かということは、ある意味で一億三千万すべての人が隣の人に対して、賛成しようよとか反対しようよとかという主体になり得る。一人でもなり得るわけでありますし、日本の憲法が変わった方がいいのか変わらない方がいいのかということは、余計なお世話とはいいながら、例えばアメリカの高官が、日本の憲法は変わった方がいいとかいろいろな発言をしているわけでありますから、これは言論という部分で、規制のしようがない世界でもあります。
この、何か特定の部分だけを運動として本当に定義できるのかどうかということがまず前提として問われなければ、そもそも規制のかけようがないんじゃないか。あるいは、規制をかけるとしても、我々が従来申し上げているとおり、ほとんど例外的なケースに限定せざるを得ないのではないか。このあたりの整理を今後しっかりとしていかなければならないんじゃないかということをきょうの議論の中で感じました。
以上でございます。
<他の議員の発言部分省略>
○枝野委員
二回目になって恐縮ですが、今の笠井先生のお話は、前の調査会のときにも私、申し上げたんですが、九条改正といった場合に、自衛隊がもっといろいろなことをしやすくするとか、自衛隊を憲法上明文でオーソライズするということだけが九条改正の意図である、あるいはそういう方向での九条改正を目指している人たちしかいないという前提がもう時代的に違っているんではないのか。
私は、前の調査会のときにあえて多分名前を挙げて申し上げたと思うんですが、例えば今の自衛隊が憲法違反だ、あるいは今の自衛権、自衛隊すら認めないというお立場ならば、どうして今の九条を改正して自衛権もこれは行使しないという九条に書きかえるということを主張しないのか、僕は不思議で仕方がない。あるいは、自衛隊は認めるけれども、日本の領土、領海の外には出るべきではないという立場ならば、そのことを憲法九条三項に書き加えればこんな間違いのないことはないわけで、どうしてそういう方向の改正の主張というのが出てこないのか、私は不思議で仕方がないというか、論理的にはそれは両方あり得るわけで、したがって、私は九条改正是か非かと聞かれたときには答え得ません。
つまり、どう改正するかによって、今よりよくなるか悪くなるかということは、全然、百八十度変わるのであって、どう変えるのか、どちらの方向に変えるのかということの提起があって実は初めて可か非かということが答えられるのであって、ただ変えるのか変えないのかという設問自体、やはり私も、時代おくれというか、少なくとも論理的に成り立たないというふうに思っております。
それから、ここで詰めようと思いませんので問題提起として。先ほど船田先生からマスメディアは一定のというお話があったんですが、メディアの定義もまたなかなか難しいのではないか。例えば、これも固有名詞を挙げて失礼かもしれませんが、自由新報とか赤旗とか聖教新聞とか、これはマスメディアなのかどうなのか、こういうことを考えていったときに、非常に悩ましい問題、まさに政党の機関紙やそれに類する、あるいはかなり内部的な部分のところで公布、頒布される新聞関係というのは、これはかなり強く政治的意図を持って一定の方向性に向いた主張がなされてしかるべきだというふうに思うわけですが、発行部数で線を引くのかといってもなかなかそうもいかないだろう、なかなか悩ましい問題があるなということだけ指摘をしておきたいと思います。
<他の議員の発言部分省略>