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 議事録


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日本国憲法に関する調査特別委員会


平成17年10月06日

[日本国憲法改正国民投票制度及び日本国憲法に関する件]

○枝野委員

 民主党・無所属クラブの枝野幸男でございます。

 まず、冒頭に当たり、本特別委員会の位置づけについて意見を申し述べます。

 四月にまとめられた衆議院憲法調査会報告書では、「現在の衆議院憲法調査会の基本的な枠組みを維持しつつ、これに憲法改正手続法(日本国憲法九十六条一項に定める国民投票等の手続に関する法律案)の起草及び審査権限を付与することが望ましいとする意見が多く述べられた。」とされています。

 本特別委員会を形式的、手続的に見れば、衆議院憲法調査会とは別個に新たに設置されており、五年間の議論を踏まえた調査会報告書と食い違った形となっています。このことは、与野党の立場を超え、衆議院憲法調査会の議論とその報告書の取りまとめに真摯に取り組んだ立場として、甚だ遺憾であると申し上げざるを得ません。

 憲法は、私たち国会を含めた公権力に対して、主権者である国民の皆さんがその権力を付与し、その行使のルールを規定した法です。国会において、各党、各議員が議論し、その立法権限を行使しているのも、憲法によって国民からその権限を付託されているからにほかなりません。このように、憲法が各党、各議員が活動する土俵に関するルールである以上、その議論も、各党派や議員の主観的意見を超えて、主権者の視点に立った共通の認識に基づいて進められるべき本質を持っています。だからこそ、憲法改正には、まないたの上のコイである国会のみの議決では足りず、国民投票を不可欠の要件としており、また、国会においても、単純多数ではなく、両院のそれぞれ三分の二以上という厳格な要件を課しているのです。

 近視眼的あるいは政局的判断に基づいて、従前の積み重ねや合意を尊重することなく議論が進められるならば、認識を共有する前提となるべき相互の信頼関係は構築できるはずがなく、憲法に関する議論の進展をおくらせる結果となりかねません。今回の特別委員会の設置は、従来の憲法調査会における議論の積み重ねと食い違うものであり、こうしたやり方は憲法に関する議論を遠回りさせるものであり、これを推進した皆さんは結果的に究極の護憲派であると指摘をしておきたいと思います。

 もっとも、本特別委員会は、従前の憲法調査会における中山太郎会長が委員長となり、その指導力によって、実質的には衆議院憲法調査会の枠組みを維持できる見通しとなりました。中山委員長の御尽力に敬意を表するとともに、引き続き、その指導力を発揮され、各党、各議員間の信頼関係に基づく共通認識の醸成に御尽力いただきますよう強く期待いたします。

 さて、民主党は、憲法改正国民投票法制に関して、その未整備が直ちに立法不作為に当たるか否かは別としても、本来、日本国憲法制定時に整備されていてしかるべき法制度であり、一刻も早く幅広い合意に基づいて制定されることが望ましいと考えています。

 この五年間、衆参両院の憲法調査会において日本国憲法に関する広範かつ総合的な調査を進めてきた結果、幾つかの論点について現行憲法典の問題点が明らかになっており、近い将来の憲法改正も視野に入りつつある状況にあります。言うまでもなく、憲法改正を具体的に進めようとした場合には、衆参両院でそれぞれ三分の二以上の賛成が必要です。憲法典そのものの中身について、もし本当に両院のそれぞれ三分の二以上の勢力が相互の信頼関係に基づく合意を形成しようとするならば、その手続についての合意は、より容易に可能なはずであります。逆に言えば、手続についてすら合意形成ができずに、内容についての合意など望むべくもありません。憲法改正国民投票法制について、両院でそれぞれ三分の二を超える勢力がきちんと合意形成できるかどうかは、まさに近い将来において憲法典そのものの改正が具体的な議論となり得るか否かのテストケースあるいはモデルケースです。

 こうした認識をそれぞれがきちんと確認し合いながら、拙速に陥ることなく、同時に、できる限り急いで憲法改正国民投票法制に関する広範な合意が形成されるよう、民主党としても努力する決意です。各党各会派が同じような認識に立ち、真摯な議論が展開されることを心から期待いたします。

 では、国民投票法制を議論するに当たって、特に検討を要する論点について、現時点での認識をお示ししたいと思います。

 まず基本的に押さえておく必要があることは、憲法改正国民投票と公職選挙とは、その意味づけにおいて似て非なるものだということであります。

 選挙によって選ばれる議員や首長などは、憲法によって規定されているからこそ一定の公権力行使の権限が付与されています。そして、どんな議員や首長が選ばれたとしても、その行使できる権力は憲法の範囲内に限定されています。まさに憲法こそが土俵でありフィールドでありルールなのであって、選挙で選ばれる議員や首長はその上でプレーする選手です。土俵やフィールドやあるいはルールがしっかりしているからこそ、選手はその範囲内で自由にプレーができ、競技が成り立ちます。土俵がいいかげんで恣意的に広さが変化したり、選手によってルールがころころ変わったりしたのでは競技自体が成り立たなくなるように、憲法という基盤が国民の信頼を失ってしまったら、民主主義社会は崩壊します。

 公職選挙の重要性を決して軽く見るものではありませんが、民主主義という観点から、この土俵を設定するための憲法改正国民投票は、その重要性を決して軽く見るものではない公職選挙と比べても、さらに比べ物にならないほど重要であるということを常に意識する必要があります。

 具体的にまず重要なことは、国民投票運動のあり方についてです。

 人を選ぶ公職選挙と異なり、憲法改正国民投票に関する運動は、主権者である国民の政治的意思の表明そのものであります。憲法を変えるべき、あるいは変えるべきでないという政治的意思表明と、それぞれの立場に基づく政治活動は、現行憲法制定以来一貫して常に行われ続けています。そして、その政治活動の自由は、現行憲法典に保障されているだけでなく、民主主義が機能する上で不可欠な人権として最大限の保障がなされる必要があります。軽々に公職選挙と同じように国民投票運動の規制を行うと、政治活動の自由という民主主義の基盤となる自由が侵害され、大変な混乱が生じます。

 現在でも、大手メディアからミニコミ誌のレベルまで、憲法に関する意見表明は常に自由に、そして活発に行われております。これが、国民投票が公示された途端に規制に服するというのは明らかに不自然であります。

 また、公職選挙においては、例えば、飲み屋の席などで投票依頼の発言があり、その発言者が割り勘の端数であったとしてもそれを負担した場合、買収に問われる可能性があります。どの程度多いかは別としても、仕事帰りの例えば新橋の飲み屋などで憲法談義が展開されることは皆無ではありません。そのときに、例えば、会社の上司が一定の見解を主張し、さらに上司として飲み代をごちそうしたら買収に問われかねないのでしょうか。常識の範囲内で判断するという言い分もあるかもしれませんが、場合によっては刑事罰に問われかねない問題です。

 公職選挙においては、選挙の関係者でもどこまでが合法でどこからが違法であるのかなかなか判断ができないケースがあります。国民投票においては、すべての国民が運動の働きかけの主体となり得ます。こうした人々に対して、警察当局や司法当局の裁量によって刑罰に問われかねない可能性があるというのでは、強い萎縮効果が生じるでしょう。

 さらに言えば、公職選挙においては、候補者たる個人等の固有名詞を出すか出さないかで選挙運動と言えるかどうかの大方の判断基準となり得ます。しかし、憲法改正に関しては、条文としての改正案の是非については全く示さなくても、例えば、環境権を認めようとか、環境権なんて変だよねとか、一定の政治的意思表明をすること自体が賛成または反対の投票行動を誘引する働きかけとなり得ます。どこからが国民投票運動で、どこまでが一般的政治的意思表明なのか、どう区別をしてもその境界はあいまいにならざるを得ないでしょう。

 二つ目に重要なのは、投票権者の範囲です。

 公職選挙の場合、選ばれる議員等の任期は最大でも六年です。しかし、憲法改正の場合、戦後六十年にわたって一条たりとも改正がなかったことは特別だとしても、個々の条文単位で見れば、一度決まったものが数十年にわたって改正されないこともごく普通のことであります。

 こうした視点から、本当に投票権者を二十歳以上としていいのか。むしろ、改正後の憲法とより長い期間にわたってつき合っていく若い世代に、可能な限り最大、投票権を認めるべきではないのか。単に事務作業の便宜というだけで判断できる問題ではありません。

 また、公職選挙に関する在外投票について先日違憲判決がありましたが、より重要な憲法改正については、日本国民である以上、海外に在住している場合でも、すべての人にきちんと投票できる余地を設ける必要があると思います。さらには、たまたま直近の公職選挙において公民権を停止されている者についても、公職選挙とは質的に異なる国民投票についての投票権を剥奪してよいのか、慎重な議論が必要です。

 三番目に、複数の論点について改正が発議された場合に、テーマごとに投票するのか、それとも一括して投票するのかという問題があります。

 憲法制定権力である国民のより自由な選択を可能にするという意味から、可能な限り論点ごとに分けて投票できるようにすることが必要だと思います。Aという論点については改正に賛成だけれども、Bという論点については反対だという意見を、無理やり一つの票で対応させるというのは、国民にとって余りにも不親切です。

 また、複数の論点について一括して投票を求めた場合、国民の多数が望んでいる憲法改正についても、結果的に投票で否決されることになる可能性が高くなることを指摘しておきたいと思います。

 例えば、A、B、Cと三つの論点が一括して投票にかけられる場合、A、Bに賛成だからCに反対だけれども賛成票を投じるという投票行動になるでしょうか。A、B、Cの三つのうちどれか一つの論点についてでも反対であれば、他の二つの論点について賛成であったとしても反対票を投じるという人の方が多いのではないでしょうか。そうだとすると、複数の論点を同時に重ねれば重ねるほど、反対意見が累積されて投票行動に反映し、個別に問えば賛成が多い論点についても一括して否決される結果となる可能性が高いと思います。もちろん、それで憲法が変わらないならその方がよいという見方もあるでしょうが、国民の意思に忠実に対応するという観点からは望ましいこととは思えません。

 そのほかにも、周知期間や過半数の意義、投票の書式など、技術的に詰めなければならない論点は多々あります。また、法律上の規定になじむかどうかは議論の余地がありますが、周知、広報のあり方についてもきちんとした検討が必要であります。

 さらには、そもそも国会が両院でそれぞれ三分の二以上の合意を形成し、国民に発議するためには、通常の法律案審議の形式とは異なった工夫が必要であります。憲法のような重要問題について、一つの政党などが原案を示し、他の政党が部分修正を求め、その結果として一つの結論に至るという方式が、政治的に考えて現実に実現可能であるとは思えません。また、衆参で意見が異なった場合にも、重要であればあるこそ、一方が他方に妥協するというのも考えにくいだろうと思います。

 もし本当に憲法改正の発議を現実的に考えるならば、最終的には、衆参両院の合同起草委員会のようなものを設け、参加する各党でゼロベースから共同起草した案を衆参両院に持ち帰って議論する、こういう形が必要ではないかと思います。こうしたこともこの機会に同時に検討を進めておく必要があると思います。

 いずれにしても、全国規模で国民投票制度を設けること、あるいは憲法改正について具体的にリアリティーを持ってその手続を考えること、我が国にとって初めての経験であります。机の上であるいは頭の中で幾らいろいろと考えても、想像の及ばないことは多々あると思います。諸外国においては、定常的に国民投票を実施している国もあり、また、我が国と同様に憲法改正に関して国民投票制度を設け、これを実施してきた国もあります。こうした諸外国の先例をしっかりと学び、現実的な制度を組み立てていく必要性が高いことを強く指摘しておきたいと思います。

 最後に、どのような議論が進み、どのような国民投票制度を設けるにしても、国民の皆さんに対する十分な周知、広報が必要であります。

 現在、残念ながら、かなり多くの国民の皆さんが、憲法改正に国民投票が必要であること自体を御存じありません。このまま国会内での議論だけが先行した場合、本来の憲法制定権力である国民の皆さんが、当事者としての意識を十分に醸成しないまま取り残されていく心配があります。最悪の場合、国民投票が実施されても、投票率が異常に低くなって、その正当性に大いなる疑問を生じさせる結果となりかねません。

 この国民投票法制に関する国会における議論自体が、多くの国民の皆さんに憲法改正手続に関する理解を深め、当事者としての意識を醸成していただくための絶好の機会であります。これからの本特別委員会における議論が、こうした視点をしっかりと踏まえ、国民に開かれた形で進んでいくことを期待して、意見表明といたします。

 ありがとうございました。(拍手)

<他の議員の発言部分省略>