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両院-年金制度をはじめとする社会保障制度改革に関する両院合同会議


平成17年07月29日

[年金制度をはじめとする社会保障制度改革(国民年金と生活保護の関係)について]

○枝野議員

 民主党の枝野でございます。

 今、福島先生のお話を伺っていて、あれっと思ったんですが、生活保護のかわりを年金にさせるのではないか、私はそれでいいんではないか。つまり、生活保護という仕組みは、本来は、なければない方が望ましい制度なんだ。まさに自助、共助、公助であって、本来は、各個人が自分の責任と自分の努力で生きていければ一番いいんだけれども、ところが、人間社会というのは必ずしもそうはできない。そうした中でお互いの助け合いという共助の仕組みがある。そして、そういうやり方の中でもどうしても救えないケースが出てくるからこそ、最後のベースとしての生活保護が存在をしているのであって、できるならば自助と共助の世界の中で、生活保護という仕組みを受ける人がいなくなる社会が我々の目指すべき社会なのではないか、私はそういうふうに思っています。

 そうしたことを考えたときに、まさに我々は、新しい制度、将来像、今すぐそうなるわけではありませんけれども、必ずすべての国民が所得に応じて保険料を納めてくださいと。それは前回来、何度もここで伊吹先生からお尋ねがありましたけれども、我々は、所得がゼロならばゼロ円という保険料をちゃんと納めてくださいと。

 少なくとも、自分たちが、この年金というお互いの助け合いの仕組みの中にきちっと当事者として参加をしてきたということを前提として、つまり、どこからともなく、何となく無条件に、何の努力もしなかった人もお金を受け取れるという仕組みではなくて、少なくとも自分の所得が幾らあるのかということをきちっと届け出て、それに応じて保険料を納めるという意思を、四十年超にわたって責任を果たしてきた人は、その助け合いの仕組みの中で、ミーンズテストなどの余計なことをしないでも最低限の老後の生活はやっていけるんですよ、こういう仕組みをつくっていくということは望ましいことではないか。

 そして、私はこういう仕組みをつくることによってこそ、例えば自助努力とかということが働くのではないか。つまり、老後の生活が生活保護であった場合には、例えば五十を過ぎ六十近くなり、ちょっとでも自分の努力で資産を蓄えておこうとか、あるいは自助努力による私的な生活維持のための保険に入ろうとかいうことは、そういうものがあれば生活保護は受けられなくなるし、そういうものがあれば生活保護がマイナスになっていくということで、どんどん、まあここまで来たんだからしようがないや、後はどうせ生活保護なんだからちょっとぐらい努力してもしようがないやというインセンティブが残念ながら今の制度では働いてしまいます。

 しかし、ミーンズテストは行わずに、きちっと、例えば一生の間無収入であった人でも権利としてこういう年金が受け取れるんだ、そういう中であれば、ほんのちょっとでも努力をして老後をより安定させるために頑張ろうという自助努力が、まさにミーンズテストなどがないからこそ私は働くのではないか。自助を促すという観点からも、できるだけ生活保護という部分を小さくしていくことの可能な制度を組み立てていく。

 我々は、基本的には高齢者についてのお話だけさせていただいていますが、同じような発想の中で、若年障害者の皆さんについてどうするのかということについても同じような理屈立てで同じような組み立てをしていって、生活保護的な、本当に全部チェックして、貧しいからここまでは最低限上げますよではなくて、自分が加わっている共助、助け合いの仕組みの中で、その参加者として加わっているからこそこれぐらいの給付は受けられるんだという権利性を持ったものとして、一番最低部分のところを確保していくということは望ましいことではないか、こんなふうに思っています。



○山井議員

 民主党の山井和則です。

 今の枝野議員の発言の趣旨とも近いわけですけれども、やはり生活保護というのは、ある意味で、できるだけその利用をする人は少なくならねばならないわけです。社会保障の一つの目的というのは、いかに生活保護に頼る人を減らしていくかということであると思います。そういう意味では、今の日本の年金制度あるいは昨年の年金改革というのは、生活保護を逆にふやしていくような流れに私はなっていると思います。

 与党のある幹部の方も、結局国民年金に入らなければその人は老後年金をもらえないんだから、それで仕方がないということを発言されたのを聞きましたが、やはりそれでは、払わなくて高齢になったら最後は生活保護になったらいいということでは、逆にこれはモラルハザードになっていくわけでもありますし、また同時に、国民皆年金という大看板をおろしてはならないわけであります。

 その意味で、生活保護をいかに減らしていくかという年金制度であらねばならないわけで、国民年金の未納、未加入にならない制度をきっちりとつくっていくことが重要であると思います。

 水準に関しては、国民年金だけで最低保障に係る国の義務を果たすわけではないので、生活保護水準よりも高くなければ憲法二十五条に違反するとまでは言えないわけですけれども、四十年拠出して生活保護以下ということであれば、当然払うインセンティブも働かないわけですから、やはり生活保護以上の水準が望ましいのではないかと思っております。

 高齢者の場合は貯蓄もあるからそれほどの高い水準は必要ないのではないかという議論もあるかもしれませんが、確かに多くの資産を持つ高齢者もいる一方で、世帯所得が百万円以下の高齢者の世帯では貯蓄ゼロの人が約三割もいるわけでありまして、明らかに生活が成り立たない、そういう制度ではセーフティーネットの役を果たさないと思っております。

 まとめになりますが、そういう意味でも、今のままの国民年金というもの、未納、未加入がこれだけ多い制度を放置して、そして、その方々がひいては生活保護にどんどん流れていきかねない、こういう制度を放置していくことは絶対許されないわけでありまして、民主党が主張しているような抜本改革が必要であると思います。

 また、一つつけ加えるならば、今障害者自立支援法も議論されておりますけれども、これも一歩間違えば生活保護をふやしていく、そういうふうな方向になりかねないのではないかというふうに私は危惧をしております。

 以上です。

○柳澤議員

 枝野議員の御発言、興味深く伺いました。

 消費税のゼロ税率みたいな話もされたわけですが、手続面のことなんですが、これを申告でやって、それの正当性、妥当性というものを調査するのかしないのか。

 私は、スウェーデンのみなし積立金の制度は、いわばそれを常に知らせることによって申告の実質的レベルを向上させようとしている制度とも見えるわけですけれども、枝野議員の今の、毎年恐らく申告させるんだろうと思うんですけれども、あるいは毎年ではなくて毎月でしょうか、いずれにしても、手続面のことを考えますと、これは膨大な行政コストがかかってくるのではないかとも思えるわけです。

 これは、今のこちら側の悩みでもあるんですけれども、自営業者とかあるいはフリーターというような人たちの所得課税の問題でもあるんですね。しかし、それは、所得税の税制の中ではある意味で割り切って、行政コストとの関係、徴税コストとの関係からいって、そこまでは到底やり切れないといういわば割り切りのもとであきらめているというか、そういう面があるんですけれども、枝野議員はそのあたりのことについてはどのようにお考えか、お話しいただければ大変幸いだと思います。

○枝野議員

 御指摘のとおり、コストの問題というのはきちっと考えなければいけないと思います。

 私は理念的に、収入がゼロならゼロと申し上げましたが、それは例えば、一定の枠をはめて、何十万円なり何百万円以下ならばゼロとみなして、保険料ゼロ円ということは理屈の上であると思うんですね。所得控除を所得税についてしているように、そこの部分は、そういうことをやることによって実際の徴収コストを下げるという部分はあり得ると思います。

 それから、その上で我々が一つ目玉なのは、納める側からすれば、税も保険料もお上にお金を預けるという意味では一緒なのに、今、ばらばらに納める、ばらばらに手続をする。すべてベースになる収入というのは、所得比例年金であれ所得税であれ、こういう所得がありました、それに対して、税の方はこういう仕組みでこういう納め方をします、保険料の方はこういう仕組みでこういう納め方をしますということをやるわけですから、数字をほうり込めば後は機械的に出てくるという世界のところで、一緒に届け出をして一緒に集めるという仕組みをとれば、さらに言えば、健康保険などについても、これは将来的な課題ですけれども、本来ならば一緒に効率的にやれた方がいいだろうと思うんです。その部分のところで、徴収コストについて一方で下げる努力をするということを組み合わせれば、私はそれほど大きな徴収コストの問題にはならないのではないだろうか。

 しかも、年金については、既に基礎年金の番号もついていますので、そうしたことでの一元管理ということは、技術的、コンピューター処理的にはそんなに難しくないというふうに思います。

 多くの場合は、ゼロなのか、それともかなり低い額なのかという人が一定層出てくるんだろうと思います。だけれども、それは、前回以来、伊吹先生から御指摘を受けているとおり、少しでも収入があれば保険料を納める、納めたことの対価なんだということを維持するためのコストとして理解できる線で、何とか僕はできるのではないか。

 もちろん、そういった技術的なことは、もしこういう仕組みで一緒にやりましょうと言っていただけるんだったらば、御相談をすべきことだとは思っております。

<他の議員の発言部分省略>

○枝野議員

 民主党の枝野でございます。

 今、福島先生のお話を伺っていて、あれっと思ったんですが、生活保護のかわりを年金にさせるのではないか、私はそれでいいんではないか。つまり、生活保護という仕組みは、本来は、なければない方が望ましい制度なんだ。まさに自助、共助、公助であって、本来は、各個人が自分の責任と自分の努力で生きていければ一番いいんだけれども、ところが、人間社会というのは必ずしもそうはできない。そうした中でお互いの助け合いという共助の仕組みがある。そして、そういうやり方の中でもどうしても救えないケースが出てくるからこそ、最後のベースとしての生活保護が存在をしているのであって、できるならば自助と共助の世界の中で、生活保護という仕組みを受ける人がいなくなる社会が我々の目指すべき社会なのではないか、私はそういうふうに思っています。

 そうしたことを考えたときに、まさに我々は、新しい制度、将来像、今すぐそうなるわけではありませんけれども、必ずすべての国民が所得に応じて保険料を納めてくださいと。それは前回来、何度もここで伊吹先生からお尋ねがありましたけれども、我々は、所得がゼロならばゼロ円という保険料をちゃんと納めてくださいと。

 少なくとも、自分たちが、この年金というお互いの助け合いの仕組みの中にきちっと当事者として参加をしてきたということを前提として、つまり、どこからともなく、何となく無条件に、何の努力もしなかった人もお金を受け取れるという仕組みではなくて、少なくとも自分の所得が幾らあるのかということをきちっと届け出て、それに応じて保険料を納めるという意思を、四十年超にわたって責任を果たしてきた人は、その助け合いの仕組みの中で、ミーンズテストなどの余計なことをしないでも最低限の老後の生活はやっていけるんですよ、こういう仕組みをつくっていくということは望ましいことではないか。

 そして、私はこういう仕組みをつくることによってこそ、例えば自助努力とかということが働くのではないか。つまり、老後の生活が生活保護であった場合には、例えば五十を過ぎ六十近くなり、ちょっとでも自分の努力で資産を蓄えておこうとか、あるいは自助努力による私的な生活維持のための保険に入ろうとかいうことは、そういうものがあれば生活保護は受けられなくなるし、そういうものがあれば生活保護がマイナスになっていくということで、どんどん、まあここまで来たんだからしようがないや、後はどうせ生活保護なんだからちょっとぐらい努力してもしようがないやというインセンティブが残念ながら今の制度では働いてしまいます。

 しかし、ミーンズテストは行わずに、きちっと、例えば一生の間無収入であった人でも権利としてこういう年金が受け取れるんだ、そういう中であれば、ほんのちょっとでも努力をして老後をより安定させるために頑張ろうという自助努力が、まさにミーンズテストなどがないからこそ私は働くのではないか。自助を促すという観点からも、できるだけ生活保護という部分を小さくしていくことの可能な制度を組み立てていく。

 我々は、基本的には高齢者についてのお話だけさせていただいていますが、同じような発想の中で、若年障害者の皆さんについてどうするのかということについても同じような理屈立てで同じような組み立てをしていって、生活保護的な、本当に全部チェックして、貧しいからここまでは最低限上げますよではなくて、自分が加わっている共助、助け合いの仕組みの中で、その参加者として加わっているからこそこれぐらいの給付は受けられるんだという権利性を持ったものとして、一番最低部分のところを確保していくということは望ましいことではないか、こんなふうに思っています。

<他の議員の発言部分省略>