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 議事録


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衆-憲法調査会


平成16年12月02日

[一年の締めくくりとしての自由討論]

○枝野委員
 民主党の枝野でございます。

 憲法調査会における議論もことしの後半で五年目に入りました。この間、憲法調査会の中山会長初め委員各位の御尽力と、おいでいただいた参考人や公述人の皆さんなどの御協力によって、憲法に対する議論が一定の前進をしたことは高く評価をすべきであると考えております。

 それは、従来、憲法に対する議論が大変抽象度の高い、あるいは時として感情論的ともとられかねないような議論が大手を振っていた時代が長く続きましたが、本調査会における議論も一つの大きな要因となり、特にことしの議論は、それが大変具体的あるいは論理的な議論へと変化をする兆しが大きく見られたのではないか、このように受けとめております。その結果として、憲法の抱えている論点について、かなり具体的なものが明らかになりつつあるというふうに位置づけております。

 また、ことしのこの憲法調査会においては、先ほど船田幹事からもお話がありましたとおり、ヨーロッパ各国を訪問、調査団として派遣をさせていただきました。その具体的な中身については既にここでも報告、議論がなされておりますが、そこのところで必ずしも十分に出ていなかった点として、EUが憲法を制定するに当たってのその合意形成のプロセスというものは、私どもがこれからの議論において十分に参考にすべき、あるいは、言い過ぎかもしれませんが、見習うべき点が多いのではないか。

 すなわち、EU憲法においては、日本の国内における意見の幅以上に利害関係上違いがあるはずの主権国家の二十五カ国において一つの合意を得ております。また、欧州議会においては、日本以上にたくさんの政党、しかも幅のある政党があるにもかかわらず、そうした中での努力によって合意形成を得てEU憲法案は制定をされております。ここに至る合意形成に向けた政治力あるいは粘り強い努力というようなものについては、これから我が国が憲法について議論をしていく上においては大きく参考にすべきではないか。

 特に、今の日本国憲法においては、憲法改正の発議においては衆参両院で三分の二以上を要する、こうした規定になっております。もしも改正ということを想定するのであるならば、国会における主要な政党が一致をできるためのプロセスというものは、相当な工夫と努力がなければ簡単ではない。そこのところは、EUのプロセスというもの、これは今回の調査にとどまらず、日本からも改めてさまざまな形で検証し、参考にしていく余地があるのではないかというふうに考えております。

 さて、こうした一定の憲法に関する議論、そしてこの調査会における議論については、前進し、評価すべき点が多々あった一方で、残念ながら、憲法をめぐる議論、憲法にかかわる議論について、懸念を持たざるを得ない点についてこの場で指摘をしておきたいというふうに思っております。

 一つは、憲法典の問題と憲法附属法の問題との整理、仕分けというものが、残念ながらまだ十分にされないままの議論がなされております。つまり、現行憲法においても十分対応可能である部分について、法律による対応を怠っている一方で憲法上の論点として取り上げるという側面が非常に目についております。

 具体例を挙げますと、いわゆる新しい人権に関する問題、例えば知る権利であるとか環境権であるとかプライバシー権であるとか、こうした新しい人権を十三条ではなくて明文で規定をするということは、それ自体一つの大きな意味を持つことでありますから、このことを議論することを否定するものではありません。しかしながら、同時に、これら権利の実質的な保障については、現行憲法上においても、法律レベルの整備においてもっともっとこの人権保障の実を高めるということは十分に可能であります。そうした努力をする一方で憲法典に明記をして位置づけをはっきりさせるということが議論の本来の筋道であって、法律上の実質的な保障に向けた努力を怠っていながら憲法に書きましょうという議論というのは、少し本末転倒ではないかというふうに思っております。

 もう一点例を挙げますと、地方分権をめぐる論点であります。例えば、道州制の話、あるいは地方の課税自主権の強化であるとか、一般的にさらに地方の権限の強化というような議論は、この場等においてもよく出される話であります。これまた憲法典にきちっと明記をしていくこと、これは重要な意義があると考えております。

 特に、三権分立という言葉が使われますが、憲法にはどこにも三権分立という言葉は書いておりませんし、憲法学者も、最近の有力な中では三権分立とは言っておりません、権力分立原則であります。その権力分立の意味は、国政において司法と立法と行政を分立させるという意味と同時に、諸外国の例を見ても、中央政府と地方政府との間で権力を分立させて、そして、それぞれの政府、中央政府、地方政府それぞれに主権者である国民が公権力行使について委託をする。憲法典上しっかりとその仕分けをするというのは、当然重要なことであるというふうに思います。

 しかし、現行憲法においても、この地方分権、例えば道州制を導入するにしても、あるいは課税自主権であるとか権限を強化するにしても、現行憲法上でも法律事項で十分に今以上の前進は可能であります。こうした努力あるいは具体化が、全くと言っては反対意見もあるかもしれませんが、必ずしも十分に進んでいない状況で憲法典の話だけをしても、実は実体を伴わないことになります。

 あえて申し上げますが、人権の話にしろ分権の話にしろ、あるいは統治機構一般の話にしても、憲法典を仮に変えた場合、例えば分権について言えば、道州制導入のためには、法律レベルのところで、そのための法整備、それに伴う実際の行政事務の移行手続にどれぐらいの期間がかかるのか。常識的に考えて、半年や一年でできるものではありません。

 例えば、憲法典で道州制ということの議論をするのであるならば、そうした改正の、国会の発議に先立って、最低でも同時に、例えば道州制導入下における地方自治法等の大改正、抜本改正の法整備がなされる予定がされていなければ、憲法は変わったけれどもそれを施行するまでに三年も五年も十年も、例えば統治機構一般を全体に変えるとなれば、それこそ五年、十年の移行措置が、施行までの期間が必要になりかねないということを十分に考慮された議論がなければいけないというふうに私は思っております。

 もう一点、大変残念な話でありますが、憲法は立憲主義に基づいて、法の支配に基づいて、ルールに基づいてこの国を運営しよう、そういう仕組みでありますけれども、最近こうした視点が軽視されている点が目につくということをこの機会に指摘しておかなければいけないと思います。

 一点は、もう既に有名になりました、自衛隊のいるところが非戦闘地域であるという総理答弁であります。

 これは、どなたもおわかりのとおり、法律上の要件と効果があべこべの議論でありまして、この議論が成り立つとすれば、自衛隊が出かけていけば世界じゅうどこでも戦闘地域はなくなってしまうという議論になってしまうわけでありまして、もちろん、そんなことを言っているわけではないとは思いますけれども、この要件と効果をあべこべ、むちゃくちゃにするというような、法治主義というか法の支配に対する無理解な発言というものは大変危険であると思っております。

 最近、世の中一般に、見つからなければ悪くないというような風潮がはびこっておりますが、処罰されないという法的効果で自分がやっていることは許されることなんだという要件の充足を導くという意味では、自衛隊のいるところが非戦闘地域であるという理屈と全く同じであります。

 まさに、こうした発言を総理がされているというのは、国民の遵法精神を率先して崩している行動であるというふうに強く批判せざるを得ませんし、こうした法の基本的なルールを理解しないもとでどんな憲法をつくったとしても、その憲法自体が守られないのでは意味がないということを指摘せざるを得ないと思います。

 もう一点、自衛隊の多国籍軍参加について、憲法解釈が一夜にして変更をされております。もちろん、私は、憲法の時代による変遷を否定する立場ではありません。また、現在の政府の憲法解釈が正しいとは思っていない立場であります。また同時に、内閣法制局は憲法解釈を変更したのではないということで、大変苦労して一応の理屈をつけたことも知っています。

 しかしながら、大きく見れば、少なくとも国民的視点から見れば、多国籍軍には自衛隊は参加できないというのは、これはどなたが言っていたんではなく、今の政府そのものが言い続けていた話が、あれ、一夜にして十分な説明も議論もないままに変更されたという一般の国民からは受けとめになると思います。これを認めたのでは、どんな憲法典をつくろうが、その文言は空洞化し、意味をなくすものであります。

 今回は、少なくとも事前に十分な説明と議論の時間が確保され得た状況でありながら、こうしたやり方をとるというのでは、憲法を議論するための資格を欠いていると言わざるを得ないと思っております。

 こうした危惧せざるを得ない点がありますので、こうした点について十分な留意をした上で、EUに見習ったコンセンサスをきちっととる、国民を巻き込んだ議論へと来年は向けていきたい、こんなふうに考えております。

 以上です。