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衆-憲法調査会


平成16年10月21日

[国際機関と憲法に関する自由討論]

○枝野委員
 民主党の枝野でございます。

 私は、国際機関と憲法という観点から少し、これから二十一世紀の国際社会がどうなっていくのかという一つの私なりの見方からお話をさせていただきたいと思っているんです。

 十九世紀はいわゆるパクス・ブリタニカの時代、二十世紀はパクス・アメリカーナの時代であったと言えるんじゃないかというふうに思います。私たちはそうした中で近代日本をつくり上げてきましたので、アングロサクソンの国々とうまくやっていけば大体うまくいくだろうという成功体験のもとに生きています。そしてまた、長い鎖国をあけての近代化でありましたので、十九世紀以降の国民国家間の紛争、そしてそれをどうやって防ぐのかという国際秩序の中で当たり前のように生きてまいりました。

 ただ、二十一世紀の国際社会を見たときに、今までのような、例えば、アメリカによる平和や、あるいは国民国家を前提とした国際紛争とその予防という概念自体が、かなり二十一世紀は変わるのではないかと私は思っております。それは、ある意味では、ソ連の崩壊というのがアメリカによる平和の一種の絶頂期であったのかもしれません。大体、歴史を振り返ってみますと、その国の絶頂期というものが下り坂に行く原因をもたらす出発点になっています。

 九・一一も起こりましたけれども、今まで国際社会は、国民国家あるいは主権国家間の争いで国際紛争が生じてきたというのを私たちは当たり前のように受けとめていますが、ある意味ではここ数百年の話であります。都市国家であったり、あるいは一つの、日本も鎖国以前はそうでありましたけれども、国民国家というレベルではなくて、一つの国家の中で紛争が行われていたり、あるいは、ヨーロッパは地続きでありますから、いわゆる民族、国家を超えた、例えば何とか選帝侯とかいろいろな領主間によって紛争が行われたり、こういうことがむしろ歴史的に当たり前であった中で、近代以降、国民国家、主権国家による国際紛争という中に秩序立って整理をされてきたと受けとめることができるのではないかと私は見ております。

 そして、国民国家間の紛争あるいは主権国家間の紛争ということに対しては、今も、そして当面、アメリカの圧倒的な軍事力というものが国際社会の秩序を維持していくに値するだけの力を持っているだろうというふうに思いますけれども、どうやら二十一世紀は、そうした国家間の紛争以上に、テロであるとか地域紛争であるとかというものが国際紛争として一番頭の痛い、頭痛の種になる状況に今入りつつあるんだろう。そして、アメリカの持っている、あるいはアメリカに代表されるこれまでの主権国家、国民国家が持ってきた紛争解決能力としての軍事力は、国家間の紛争に当たっては大変威力を持つものであるけれども、テロであるとか民族紛争、地域紛争に対しては必ずしも有効に機能しない。それは、近いところではアフガニスタンやイラクで今示されていますし、アメリカ自身がベトナム戦争という大変大きな犠牲を払った中で、我々人類は経験をしてきているものであります。

 もちろん今も、北朝鮮の問題を初めとして、国家間の紛争あるいはその種というものも存在をしています。そうした意味で、アメリカの正面戦争の能力というもの、これを一定の国際社会の中で評価をし、意味づけをした中でなければ物事は救っていけないと思いますけれども、しかし、こうした正面戦争あるいは国家間の戦争を前提としない中で、テロや民族紛争をどうやって解決していくのか。このための機能として、私は、これから国際機関というものの意味づけは大きくなるのではないか、また、そういうことを視野に入れた議論が必要なのではないかと。

 つまり、例えばテロを防ごうと思ったときには、国家間の争い以上に、それぞれの国家がその国内でしっかりとした法秩序を維持してもらう、その中で国家間で協力をしていくということが欠かせないのではないだろうか。現に、独裁国家を倒したという意味ではイラクでのアメリカの行動は一定の評価をできるかもしれません。しかしながら、国内における社会秩序が崩壊したことによって、むしろイラクはテロの温床に今なってしまっています。

 それぞれの国が自国内の秩序、治安をしっかりと維持しつつ国際社会でどうやって協力させるかという二つのことを同時にやらなければ、テロを単独の国家で、あるいは正面戦争で防いでいくことはなかなか難しい。民族紛争の問題、地域紛争の問題も、少しテロとは意味が違いますけれども、それぞれの国内における秩序あるいは治安というものをどうやって維持していくのか。それを、国内の一国の政治だけではなかなか民族紛争あるいは地域紛争というものは解決しない要素を持っている中では、国家を超えた役割としての国際機関がますます重要な意義を持たざるを得ないのではないだろうか。

 そういったことを考えると、我々はEUの知恵を学んできたところでありますけれども、国際社会、国際機関にどういった役割を担わせ、そうした社会をつくっていくために我が国がどう動き、そうした秩序の中で我が国がどういう役割を果たしていくか、現在の主権国家、国民国家を前提とした国連憲章を超えた議論というか大きなビジョンというものが必要ではないだろうか、そんなふうに考えております。

 ありがとうございました。

<省略>

○枝野委員
 二度目になりますが、御指名をいただきましてありがとうございます。

 先ほど来、常任理事国入りの話、それから集団安全保障への日本の参加、協力の話が出ております。私は、どちらも否定をするものではない立場であることをまず明確にした上で申し上げたいのであります。

 事実上死文化しているとはいいながら、現行の国連憲章にはやはり敵国条項が残っているということのクリアこそが最優先課題なのではないか。常任理事国入りとセットでやるという議論はあるのかもしれませんが、敵国条項が残っていながら常任理事国入りを目指すというのは物事の順序が明らかに違っていると思いますし、敵国条項が残っている国連という組織のもとで日本がどこまで汗をかくのかというような議論というのは、実は、若干ピントがずれているのではないか、お人よし過ぎるのではないだろうかと言わざるを得ないというふうに思っています。

 念のために申し上げれば、敵国条項は単に日本が旧敵国であったということを書いてあるだけではなくて、事実上死文化しているとはいいながら、国連は、日本に対しては、他の国に対するものとは違って、安保理決議等を要さずに武力行使等ができる、集団安全保障行為を発動できるという条文は残っているわけでありまして、こうした条項に対して、まずは順序として、日本も国際協力をこれからどんどんしていく中で幾ら何でもひどいだろうということからまず始めていくというのが、これは諸外国にも理解を得やすい話であろうと思いますし、また敵国条項がなくなったときに初めて次のステップとして、さらに協力をしていく上で、常任理事国入りという話のプロセスというのが物事の筋ではないだろうか。このことは申し上げておかないといけないなということで、二度目でございましたが、札を立てさせていただきました。

 以上です。ありがとうございます。