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 議事録


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衆-憲法調査会


平成16年06月10日

[自由討議で意見陳述]

民主党の枝野でございます。

私からは、かなりこの間建設的で具体的な議論が進んでいるかと思いますが、若干違和感を感じ、整理をしなければならないと思われる点についてお話をしたいと思います。

まず、憲法九条論であります。

これは残念ながら、歴史的に、憲法九条について、武力行使に当たるのか否かということで解釈の限界について議論をされてきた。そのことが背景にあるという必然性はあるとは思いますけれども、どうも、この武力行使の禁止の例外についてきちんとした整理された議論がなされていないのではないか。

一つには、もちろん自衛権というものがあります。その自衛権という九条の例外についてどこまで許されるのかという話、これは、いわゆる集団的自衛権の話につながっていく話だと思いますが、その議論と、国際協調主義のもとで、国権の発動ではない国際協調、国際機関などからの要請、あるいはそこに対する協力という形で行われる武力行使が、九条の例外として認められるのか、認められないのか。認められるとすればそれはどの範囲で認められるのかということについての、これは、解釈論としても、憲法の改正議論としても、自衛権の話と国際協調の話を明確に区別しなければ議論が混乱をするというふうに思いますけれども、残念ながら、いまだに混乱をしたまま。最大の責任は内閣法制局にあると思いますけれども、内閣を握っておられる与党の皆さんの責任でこの解釈論の混乱は整理をする必要があるのではないかというふうに思っております。

二点目として、やはりいろいろと、憲法の議論のときに歴史とか伝統とかという議論が出てまいります。歴史とか伝統とかと言われている方の歴史とか伝統をお聞きをしていますと、しょせん、明治維新以降の短い期間の歴史と伝統に特化して、注目をして歴史と伝統を語っておられるような違和感を感じます。むしろ、日本史をしっかり振り返ってみると、明治維新から第二次世界大戦までの間というのは日本史の中では大変異色の期間であったということは、私はかなり共通認識が持てるのではないだろうかと。そして、本当の意味で日本の歴史と伝統というものを幅広く見てみると、日本の特徴というのは、多神教の方が大変多い国であるというのは、他国と非常に特徴的な国であるというふうに思います。

それから、皆さんの前のプレートもすべてメード・イン・ジャパンではない文字であります。歴史的に外国から文字を受け入れ、あるいは今の日本語の中にも、片仮名言葉を初めとして、異様に、異常に他の言葉と比べて外来語が自然に同化をされている。

もちろん、宗教であったり社会制度であったり、他国からのさまざまな制度、文化の移入について寛容な国でありまして、日本の伝統文化、歴史文化という、歴史や伝統といった場合には、こうした多神教の方が多い。他国のものを寛容性を持って受け入れるという大変リベラルな伝統と文化ということこそが、本来の日本の伝統であり、歴史である。その原点ということを見ずに、非常に特異な期間であった明治維新から第二次世界大戦までの間を特化して歴史と伝統というふうに位置づけると、誤るのではないかという違和感を感じております。

三点目。どうしても憲法の議論の中で、義務規定が少ないとか、あるいは義務に関するような議論が時々出てきておりますが、これは、私たちは国会議員であって、国会は憲法に反しない限りでは国民の皆さんに義務を課すことは立法で幾らでもできるという、根本的な法制度を混同しているのではないか。国民に義務を課さなければならない必要性を感じているのであれば、憲法に反しなければ立法でできる。逆に言えば、憲法の意味というのは、法律をもってしても義務を課せない限界を定めるのが憲法なのでありますから、憲法に国民の義務を課すというのは、憲法の本来の意味からすると意味不明であると言わざるを得ないと思っています。

最後に、この間、私もしばらく離れておりましたが、大変建設的で前向き、未来志向の議論がなされているかというふうに思っておりますし、そのことを評価しておりますが、いまだに残念ながら、古色蒼然とした制定過程論が議論をされる。これは、せっかく前向きで建設的な議論が進んでいることに対して逆行することになるのではないかということで、このことについては強い危惧を持っておりまして、ぜひ、前向きな未来志向の議論を進めていただきたいと思っております。

以上です。