[委員間の自由な討議]
○枝野委員
民主党の枝野でございます。
憲法調査会のきょうの議論も含めて、いろいろなところで世代的な話が出ておりますが、このメンバーの中では私が最年少でございます。私にとってもやはり憲法は生まれたときから存在をしているものであって、押しつけられたという意味では、押しつけという言葉が適切かどうかわかりませんが、いずれにしても、我々の世代にとっては上の世代の皆さんがおつくりになったものを与えられたということであるということをまず申し上げておきたいというふうに思います。
さて、そこで、いろいろな議論が出ておりますが、私はまず、憲法がどういうものであるのか、我々にとって何なのかということの位置づけをしっかりさせるべきではないか。時々、憲法を大事にして国が滅んでしまったら仕方がないじゃないかという議論がございますが、まさにそれは私も同感であります。
つまり、憲法はあくまでも道具であるということを共通認識で持たなければいけないのではないだろうか。道具についていいとか悪いとかと言う前に、その道具を使って何をつくり上げるのかということの議論が大事なのであって、道具がいいか悪いかという判断は、つくり上げようとしている、例えばその道具が包丁であるならば、つくり上げられる料理が何であるのかということがはっきりしなければ、いいも悪いも判断はできないということであります。
したがって、私は、抽象的に、例えばあなたは改憲派か護憲派かと時々マスコミなどからもアンケートみたいなものが来ますが、抽象的に、憲法を変えますか変えませんかと言われれば、私は一言一句たりとも変えちゃいけないなどという硬直的な立場に立ちませんが、どの部分をどういうふうに変えるのかということが問われなければ、イエスともノーとも答えようがない。その原点をまずはしっかりと共通認識で持たなければ、物事は前へ進んでいかないというふうに思っています。
それからもう一つ、その道具性ということとも絡んでくるかもしれませんが、憲法というものは何なのかということの定義づけを、もうちょっと共通認識をつくる必要があるんじゃないかと思います。
我が国の憲法は、硬性憲法、いわゆる他の法律に比べて改正手続が困難な仕組みをとっておりますが、世界で比べてみたときに、硬性憲法というのは必ずしも多数派ではありません。そして、他の法律と同じ手続で憲法を改正できる国も少なからず存在します。つまり、憲法だから重いという意味で憲法という法はあるのではないということが、憲法を一般的に理解するときには世界のむしろ常識だということであります。
つまり、なぜか憲法に、例えば、先ほど国民の義務ということで我が党の松沢委員も言っていましたが、環境権を入れるのなら環境を守る義務というような話はよくわかるんですが、憲法という法が他の法とどこが違うのかといえば、公権力の行使について制限を加える法、あるいは公権力の行使の仕方について規定する法が憲法の本来の定義であるというふうに理解をすべきであるというふうに、私は私の憲法を学んできた経緯から判断をしております。その憲法とは何なのかという定義のところを混乱をしておりますと、憲法に何を書き込むべきかということについて共通の認識がつくれなくなってしまいます。
繰り返しますが、日本は硬性憲法だから、何か特別大事だから基本的なことは全部憲法に盛り込むべきなんだというふうな一般的な誤解がありますけれども、あくまでも憲法は、公権力の行使を制限する、公権力の行使のルールを規定する、その裏返しとして人権を守るということが、憲法という法が他の法とどう定義づけられるのかということの意味であります。この点の共通認識を持つのか持たないのかを含めてきちんと議論をしないと、前へ議論が進んでいかない。議論が進んでいったとしても混乱をするのではないかという危惧をいたしております。
具体的にいろいろ現行憲法の問題点については申し上げたいこともございますが、先ほど申しましたとおり、憲法は道具であるという点から考えれば、それぞれのテーマについてどこに矛盾があるのかということを、この場でもいいと思いますけれども、むしろ、例えば安全保障であるならば、本来安全保障委員会の中でいろいろ議論をしているんだけれども、憲法がどうしても邪魔になってやるべきことができない、だから憲法調査会、何とかそこを煮詰めてくれという話が手順であったりするのではないだろうか。あるいは、環境についていろいろ政策をやっているけれども、環境権という規定がないからどうしても前へ進んでいかないということが環境委員会などの議論の中から沸き上がってきて、そして憲法調査会に、では憲法上どうどこを変えたらいいのか議論をしてくれ、こういうのが、憲法が道具であるところからすれば順番ではないのかなと私は思います。
<他の議員の発言部分省略>