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Vol.11 特別号
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[ 市民の常識を貫くために | 枝野幸男 3年間の歩み ]


市民の常識を貫くために

枝野幸男の政治姿勢は「信念を貫く」である。だからこそ、選挙での不利を覚悟しながらも、日本新党一新進党という道を選ばずに、あえて苦難の道を選んだ。そして、枝野にとって最も重要な「信念」は、選挙でも訴え続けた「市民の常識の通用する政治」の実現に他ならない。
この姿勢は、国会での言動にも貫かれている。「永田町の常識」に基づいた駆け引きが横行する中、波風が立つことを辞さず に、信念に基づいた主張を続けている。
例えば、厚生委員会では、いわゆる血液製剤によるHIV(エイズ)薬害事件の真相究明と責任追求 が課題となっている。現に被害にあって苦しみ、命を落としている患者さんがいる以上、その真相を明らかにすることは当然のことである。しかし、永田町では、「与党の立場からは、ほどほどにしくおくべきだ」との声も少なくない。枝野は、内外からの圧力にも屈することなく、時として厚生大臣の怒りを買いながらも、躊躇せずに、徹底した真相究明に向けて、委員会等での厳しい追及を行っている。
また、国会での法案等の採決の際には、「党議拘束」という名の下に、個人の信今よりも党としての決定を優先することが求められている。もちろん、党の基本理念に関わる問題では、結束して対応するのが当然であるが、政党としての一体性よりも、個人の信念や感覚が重要である法案も少なくない。そのため、枝野は、国会運営の担当者に迷惑をかけることに恐縮しながらも、「海の日祝日化法案」「理容師美容師法改正案」「日米特別協定」等について、反対の意志を貫いた。
このように、永田町の常識に異議を申し立て、信含に基づいた行動を取ることには、大きなエネルギーが必要である。また、「新党さきがけ」の先輩議員が、こうした勝手な行動を黙認してくれていることへの感謝を忘れてはならない。枝野は、こうした感謝の気持ちを大切にしながら、 「たとえ地味であっても、信念に基づいた活動をしていれば、必ず評価をしていただける」と信じ、これからも「永田町の常識」と戦っていく。


枝野幸男 3年間の歩み

立候補~初の公募候補として

平成4年12月、日本新党は衆議院議員候補書を一般公募すると発表した。 資金や地盤がなくても、真に日本の将来を考える新しい血を発掘し、国会に送り込もうという日本では初めての試みである。枝野は、「理想こそが人を動かす」という細川代表のメッセージに共鳴し、この募集に応じた。そして、150人余の応募者の中から、論文・演説・討論等の審査を経て、枝野を含む2名が合格し、政治の世界に第一歩を踏みだしたのである。

384万円~手作りの理想選挙

平成5年7月第40回総選挙~資金も地盤もない枝野は、交通費すら受け取らずに無償で走り回ってくれたボランティアの方々に支えられ、理想選挙を貫いた。 選挙期間中の総費用は384万円。立候補準備から含めても500万円余。 大乱戦となった旧埼玉5区の開票結果は、96,926票で第2位当選。 旧埼玉5区の良識は、お金でも組織でもなく、熱い志しと若さを選択したのである。

細川政権~自民党独裁の終焉

平成5年8月、選挙制度改革を中心とした政治改革を旗印に、細川内閣が発足。 38年間続いた、自民党の金権独裁政権と、自民対社会という時代おくれの政治体制が、ついに終止符を打ったのである。 枝野は、国民の常識と余りにもかけ離れた国会の実態に驚きながらも、法務委員会理事・商工委員として走り回るとともに、政治改革特別委員会でも質問に立った。

PL法成立~公約の実現

平成6年6月、重点政策として公約に掲げた製造物責任法[通称PL法]が成立。 枝野は、与党PL法プロジェクト委員として、条文のひとつひとつに至るまでその制定に関わり、商工委員会でも与党側の締めくくりという責任の重い質問を担当した。 この法律は、欠陥商品による事故について、メーカーの損害賠償責任を定めており、これまで泣き寝入りの多かった消費者被害の救済が、大きく前進することになる。

魂は売らない~初心を貫くために

細川総理と小沢一郎氏との連携強化がきっかけとなって、「さきがけ日本新党」は、平成6年4月細川内閣退陣と同時に分裂した。 枝野にとって、当選だけを考えるならば、小沢氏らと連携し、日本新党から新進党へと合流した方が有利なことは明らかであった。 しかし、枝野を支えてくれた人々の願いと、「政治は力、力は数、数は金」という小沢氏の政治手法とは、最も相入れないものである。 枝野は、「理想こそが人を動かす」という細川氏の言葉を信じるがゆえに、平成6年5月、あえて日本新党を離れ、小ながら理想主義に生きる新党さきがけに合流した。

行政改革~壁は厚くても

平成6年6月、村山政権が成立し、さきがけも与党となる。自民党と政権を共有することに抵抗を感じながらも、「平和主義と行政改革」という大きな柱で政策合意のできたことが、政権参加の要因となった。 しかし、したたかな自民党と官僚機構の抵抗によって、改革は困難を極めている。 枝野は、平成7年2月から与党行政改革プロジェクトに加わり、「高齢化社会を乗り切るためには、どうしても税金の無駄遣いを減らさなければならない」という思いで、厚い壁と戦っている。

男性の女性局長として

平成6年7月、枝野は新党さきがけの女性局長に就任し、その後、女性の堂本参議院議員が入党したにもかかわらず、留任している。 さきがけの目指す「質が高くて実のある社会」を作る上で「多くの女性にとって生きやすい社会」の実現は、最も重要かつ困難な課題であり、そのためには、男性の中に女性問題の理解者を増やす必要を無視できないと考えているからである。 「女性局長は女性議員」という固定観念はもう古い。 枝野は、選挙公約の夫婦選択別姓実現に向けて奔走するほか、北京の国連女性会議に参加するなど、「男性の女性局長」として新しいスタイルを確立しようとしている。

政治家の役割とは?

政治家にとって最重要の仕事は、「政策の実現」であるはすなのに、本来の仕事を放棄して、選挙の事前運動に全精力を注ぐ議員も少なくない。しかし、政策を軽視した政治家は、官僚の言うとおりに動くほかなく、いくら選挙区で甘言を弄しても、それを政策として実現することなど、できるはずがない。 枝野は、本来の仕事に全力で取り組んでいれば、必す評価していただけると信じ、特に弁護士[法律の専門家]としての立場を生かしつつ、謙虚な姿勢で政策の勉強を積み重ねることで、行政と対等に議論できる政治家を目指している。

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